• みずき書林

『海獣の子供』と『トゥレップ』(下)

前回のつづき)


『海獣の子供』を観ながら連想した作品が3つあります。


・キューブリック『2001年宇宙の旅』

・宮崎駿『もののけ姫』

・モンティ・パイソン『Galaxy Song』


物語性の高い前半を後半で覆し、異様で美しいイメージを連ねることで生命と宇宙のフラクタルを感じさせる構成は、多くの人に『2001年宇宙の旅』を想起させたのではないでしょうか。

ネットを漁っていないのでわかりませんが、おそらくこの作品との類似性はすでに指摘が多いのではないかと推測されます。

言葉にならないことを、映像で描こうとする。その困難な試みへの挑戦として、両作品はエポックになると思います。


そして日本のアニメーションを繊細で緻密な芸術表現まで持っていったという意味では、やはり宮崎駿・高畑勲の功績は非常に大きいわけですが、『怪獣の子供』のジンベエザメは『ナウシカ』の王蟲を思わせます。

僕たちの世代の子どもが王蟲に対して抱いたように、今の子どもたちはこの作品を観て、無数の輝く眼らしきものを持ち、巨大で、個ではなく群れの意志(つまり生命そのものの意志)を感じさせるトラウマチックな生物として、このジンベエザメを記憶するのかもしれません。

そしてラスト付近の鯨は、『もののけ姫』の最後のダイダラボッチの爆誕と崩壊を思わせます。

生命が個々の生き物の意志を離れて爆発・崩壊して新たな世界を生む。そのときに個としてのニンゲン(サン/琉花)はどうふるまうか。


そして『Galaxy Song』も、ふざけたコメディであり、日本での知名度は上記2作に劣るとはいえ、さすが才人集団パイソンズです。

宇宙が女体化し、そこに彗星が飛ぶ……という間奏のアニメーションは、『海獣の子供』と奇妙なまでに符合します(ただしこちらは30年以上前のイギリスの皮肉屋ですから、深遠な歌詞をどこまでも薄っぺらでシニカルに歌うというスタイルです。YouTubeあり)。


つまり『海獣の子供』は、古今東西の先人たちが描こうとした哲学的・神話的・根源的なイメージを、現代的に描こうとした作品と言えるかもしれません。

「現代的」というのは、まずなにより圧倒的な画の美しさとアニメ技術です。なんやかんや言っても、日本の漫画とアニメのレベルはやはり相当に高い。その中でも、人間の画に独特の繊細さと危うさを感じました。

他の生物の重厚で絵画的な表現に比べると、人間はあえて細部がアンバランスに描かれているように思えました(たとえば瞳の異様な大きさや、手足の細さ)。

また図式的なことを描きますが、視点が人間中心的ではない。冒頭で何度か繰り返される校庭の隅のトーテムポール、琉花が無秩序に乱してしまう教室の机などは、そういう視点を示唆するようです。


もうひとつ「現代的」だと思ったのは、肯定も否定もない立ち位置です。

『Galaxy Song』のように、人間が宇宙を見上げてじぶんのちっぽけさを皮肉るというシニカルさはありません。『もののけ姫』のような、人間と自然のある種の対立もありません。

そういう要素はあるにはありますが、生命・宇宙の歴史の対立項として置かれているわけではありません。

利権を貪ろうとする大人たちのそっけない末路は何なのか。数十年前のジブリアニメなら、彼らとの乱闘・大活劇が描かれるところです。情緒不安定な母親との、ハンドボール部の仲間との、とってつけたような和解は何なのか。普通の映画なら、少女の成長そのものが主要テーマです。つまるところ、それらの「映画的要素」は制作者にとって重要なポイントではなかったと考えられます。


そしてそういった「映画的要素」を排したことで、ストーリー性も必然的な要素ではなくなります。

序破急も起承転結も、あえて崩しているようです。

これも現代的だなと感じました(ポストモダン、大きな物語の消失などと書くと、おいおいどこが「現代的」なんだとツッコまれそうですが)。

象徴的なのは、終わり方です。

先述のハンドボールの友達と和解したところでエンドロール。正直、戸惑いを感じる終わり方です。この経験をした後で、部活仲間との不仲問題に回収されるのか??と思ってしまう。

しかし、映画はここで終わりではありません、エンドロールの後に続きがあります。こういうオマケ的な挿入はよくあることですが、普通なら数カット・数秒で終わるようなエンドロール後のシーンが、けっこう長いうえに、ここで重要なやりとりが交わされます。

一番大切な言葉は本編では交わさない。

要するに、この作品は終わりようがないのです。映画的に伏線を回収してきれいに終わる、ということは(一応やっているとはいえ)、そのようなストーリーを追うという従来的な観方をしていると、こぼれ落ちる部分があまりにも大きい。


『トゥレップ』に「半分わかって半分わからないから(世界は)すばらしい」という発言があります。

大事なのは、わからないほうの半分を持って映画館を出ることなのでしょう。


毎日何かと忙しいし。哲学的、みたいなの恥ずかしいし。

でもたまには真面目に、考えてみたい。

生きてるって何なの。

言葉にできないことって何。

あなたは何者なの。

そんな人には(僕もそんな人です)『トゥレップ』と『海獣の子供』の連鎖は、かなり効きます。



***


余談ですが、映画を観た帰路の電車で開いた本に次の一節がありました。


「たぶん、ジュディの息子のシーンは、地球の海洋と陸地に住む二つの知的生物が互いに会話する方法を、本当に発見するだろう。もしそうなれば、惑星の知恵を分け合うというこの思考の贈り物は、パメラの洞察力から直接に発したことになるだろう。

これは心に抱くに値する希望であり、大切に育むべき夢である」


ケン・グリムウッド『リプレイ』1986年。

『トゥレップ』『海獣の子供』を観終わった直後にこんな文章を読んだ、その偶然の符合にちょっと驚きました。


ふと見たら、デスクの木目が鯨

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