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  • 執筆者の写真みずき書林

また入院。何度でも立ち上がりましょう。


暖かい日の夕方に冷たいビールをぎゅっと飲んだり。

しっかり肉厚の鰻重に山椒をたっぷりかけてお腹いっぱいになるまで食べたり。

細麺の豚骨ラーメンを替え玉してみたり。

羽田の国際線ターミナルでみんなでちょっと興奮しながらパスポートを覗きあったり。

キロ5分半のペースで皇居の周りを走ったり。

抜けるような秋空の下でなんの憂いもなく気分爽快に目覚めたり。

きっと今生ではそういうことをするのはもう無理だろうと思います。

でも、

冷たいジュースをゆっくり飲んだり。

キウイやオレンジにヨーグルトをかけて食べたり。

ベッドで楽な姿勢になって厚い本を読んだり。

ビートルズやジョニ・ミッチェルのアルバムを順番に聴き直したり。

クリームを連れて手を繋いで歩いたり。

朝起きたときにほんの少しでも調子がいいと嬉しかったり。

そういうことはこれからも受け取れるだろうと思います。


(いま、とても遅い時間で異例のことながら、明日の処置をするお医者さんが来てくれて説明をしてくれました。やはり今後はあまり堅いものや大きなもの、咀嚼に長時間を要するものを食べるときには慎重になったほうがよさそうです)


前の退院から2ヶ月を待たずして、また入院することになってしまいました。

こんなことを繰り返していくうちに、僕は少しずつ弱っていくのかもしれません。そしてやがて死ぬのかもしれません。それは遠くに見える雨雲のように、まだ朧げにしか見えないけれど確実にこちらに向かってくる、避けようのないことなのかもしれません。


でもしゃあない。

どっちにしろ、ギリギリのところまでは生きているほかに選択肢などないのだから。


3日前、ある人からいただいたメールの末尾には「何度でも立ち上がりましょう」と書いてありました。


昨日、ギリギリまではふんばって生きてみせないといけない理由が、もうひとつ増えました。


吐き気は辛い。胃酸が喉を焼き、吐くものがないから、胃がひっくり返るように身体が痙攣する。

倦怠感もしんどい。頭の中ではやらないといけないことが山積みなのに、身体が言うことを聞かない。僕は仕事を続ける資格を失いつつあるのかもしれない。

いま、僕の右の鼻の穴にはチューブがぶっ刺さっていて、それは胃まで届いて不用物を吸い出している。鼻と喉の奥が気持ち悪いったらない。こんな状態で一晩過ごすなんて。

ああ、一口でいいからオレンジジュースを飲みたいな。でも飲んだら吐くんだろうな。


ぜーんぶしゃあない。

しゃあないんだよ。

それでもギリギリまでふんばって、何度でも立ち上がらないと。

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