『花筐』を観終わったときは、巨大な壁画のようだと思った。
それは黒と赤で塗られ月光に照らされ、眼前いっぱいに拡がる壁画みたいだった。
『海辺の映画館』は、石畳が敷き詰められた広場のようだと思った。
ものすごくカラフルな石畳が、果てしなくとめどなく拡がる広場みたいだった。
3時間の長さを持ちながら、ストーリーは、あってないようなもの。
あらゆるカットが、絵のように、夢のように美しい。
演技もリップシンクもあえてしない。
メッセージは、きわめてシンプルで誰でもわかる。
そして戦争を描いた作品でありながら、ものすごい多幸感。
82歳の遺作にして、もしかしたら大林宣彦のフィルモグラフィーのなかで、もっとも子どもっぽい作品かもしれない。
子どもっぽい、というのは単純だということではなく、無垢だということだ。
目まぐるしくシーンが変わるこの映画は、かなり入り組んだ迷宮のような構造を持っている。
そして同時に、びっくり箱のような、衒いのない驚きに満ちている。
大林宣彦の頭のなかの複雑さと無垢さが、ほとんど剥き出しのまま映像化されているようにみえる。
大賢は大愚に似たり。ということばが頭に浮かぶ。
まるで無邪気で天真爛漫のような。あるいはおそろしく緻密で周到な構造を持っているような。
登場人物の名前や映画館のポスターなどなど、細かく見れば映画への愛とオマージュが散りばめられているのは間違いない。そういう見方をすれば、どこまでも深掘りできるのだろう(映画館には岡本喜八『肉弾』のパロディポスターが貼ってあった)。
いっぽうで、宇宙船の中の、ほとんどコントのような内装はどうだ(なんの意味もなく軽くドラムを叩き始める高橋幸宏。そして中江有里の髪型!)。
「玉手箱」とサブタイトルをつけ、「Labyrinth of Cinema」とコピーを付したものうなずける。
シンプルな玉手箱と複雑な迷宮に共通するのは、何が飛び出てくるかわからないドキドキ感。
玉手箱は虹色の煙を立ち昇らせ、迷宮は色とりどりの石畳で舗装されている。
「映像の魔術師」と呼ばれた監督が、ありったけのMPを注ぎ込んで未来にはなった、最後にして最大の白魔法だった。
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