• みずき書林

プロフィールとしての思い出深い本


昨年末に、必要があって履歴書を書きました。

書き出してみると僕の職歴は凄くシンプルなものだったのですが、社会人生活もまもなく17年目になろうとしているいま、もう少し詳しいプロフィールをまとめてみようかと思い立ち、個人的に印象に残っている本作りを編年でメモしてみようと思います。



2002年

・勉誠出版に入社、編集部に配属。

・はじめて担当した書籍は、逸見久美先生の『翁久允と移民社会 1907-1924』。

・このご縁で、先生が編集主幹を務める「鉄幹晶子全集」の3代目担当者になり、退職するまで15年にわたって6巻から34巻まで担当することに。


2003年

・はじめて事典を担当『姓氏家系歴時伝説大事典』。1300頁超2万円超。原稿料を計算したらすごいことになってひっくり返った。


2004年

・月刊「GYROS」担当に。毎月刊行して12号まで。


2005年

・このあたり記憶が曖昧。この年だったか忘れたが、年間の担当書籍を数えてみたら34冊だった。というのを最後に数えるのをやめる。


2006年

・早坂暁先生と仕事を始める。『天下御免』『ダウンタウン・ヒーローズ』など。

・紀田順一郎『日本の書物』。

・黒川紀章著作集。刊行直後に、黒川氏は新美術館完成→都知事選出馬と狂乱の活動を繰り広げ急逝。


2007年

・よく覚えていないが、このあたりで「編集一課課長」なる肩書になる。課長とはいえ、ひとり部署。

・横尾忠則氏のとてつもなく長いタイトルの本を刊行。いまでは珍しくもなくなったが、ブログ本だった。


2008年

・早坂先生と広島原爆を体験した人たちの絵本を作る。


2009年

・「立松和平全小説」刊行開始。1巻刊行直後に著者が急逝し愕然とする。


2010年

・このあたりまで、毎年のように事典を担当していたような気がする。


2011年

・野嶋剛『謎の名画・清明上河図』。同作が東博に来たこともあり、すぐに増刷になって嬉しかった。

・小長谷有紀編『梅棹忠夫の「人類の未来」』。これもウメサオ展の影響でよく売れた。作っていてとても楽しかった本。作った本がガラスケースの中に展示されたのもはじめて。


2012年

・代表取締役社長就任。

・『北京1966』。このあたりから近現代史の写真資料が面白くなってくる。

・『ヘミングウェイ事典』。これが大型の事典を担当した最後か。

・『コレクション中国同時代小説』(全10巻)、『中国新鋭作家短編小説選 9人の隣人たちの声』。後輩と作った本。以降、文学方面はこの後輩に。


2013年

・この年から毎年3月にAASでアメリカ出張。1週間ほど出社せずに海外にいるのは楽しかった。

・『戦争社会学の構想』。戦争社会学研究会とのお付き合いが始まる。

・『東北近代文学事典』。こっちが大型事典の最後か。編集作業中に社長になり、先生方に大苦笑される。


2014年

・前年に社屋移転。社長室をもらうが、わずか1年で個室の寂しさに耐えられなくなり、皆のいるフロアに戻る。

・この頃は、編集作業はほとんどしていないんじゃないか。

・『「日中歴史共同研究」報告書』。内容が内容だけに編集以外のところで混迷した本。


2015年

・『決定版 広島原爆写真集』『決定版 長崎原爆写真集』。きわめて興味深く充実した仕事でした。スケジュール的にはハードでしたが。

・『決定版 東京空襲写真集』。思い出深い本。よく売れました。

・まだ事典やってた。『日本武術・武道大事典』。


2016年

・出版梓会の賞をいただき、同期や会長と祝杯を挙げたのもよい思い出。

・新入社員を6人も採用。

・『東京復興写真集1945~46』。見ごたえのある本です。井上先生と本格的にお付き合い開始。


2017年

・この年はあまり担当書籍を出していない。人事と社内整備の試みに明け暮れた印象。


2018年

・勉誠出版退職。16年経っていた。

・2018年4月みずき書林設立、代表取締役社長就任。今に至る。




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