• みずき書林

ラディカル・オーラル・ヒストリー


たいへん嬉しいことに、この一月ほど、保苅実さんのお姉さまとメールでやりとりをしています。

それで、あらためて『ラディカル~』を読み返しています。


以下は、今年の春にある人に送ったテキストを少し変更したものです。


新版と旧版

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この時期に出会ったことが奇跡のように思えている本がもう一冊あります。

保苅実著『ラディカル・オーラル・ヒストリー オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践』。

初版は2004年、御茶の水書房より。

この4月に、岩波現代文庫に入りました。


著者の保苅実さんは、2004年に、わずか32歳で亡くなっています。この本は翻訳や寄稿などを除けば、彼の唯一の著作です。

保苅さんがノーザンテリトリーのグリンジという部族のもとに滞在し、グリンジの長老たちへの聞き取りを基にして作られた本です。そういう意味では、人類学・民族学の研究書だと思われるかもしれません。実際、そういう種類の本ではあるのですが、同時に、そしてそれ以上にこの本は歴史書であり、ある種の文学的・哲学的な本でもあります。

ここでは、グリンジの歴史家がどのような歴史観・世界観を持っているかが、もっと言えば、それは私たちが学び、自明のこととしている西洋的な歴史観・世界観とどれだけ違うかが、きわめて明晰で魅力的な文章で語られます。

保苅さんが生きていたらおそらく賛同しないであろう、あまりにもわかりやすくて奇矯な喩え方をすると、それはいわば火星人の歴史観を、空間把握能力を、移動の概念を、他者への意識を、知ろうとするようなものです。それくらい、アボリジニの歴史観と僕たちのそれとは違っています。そして著者は、それらを無理に西洋近代的な歴史観に接続して一本化して乗り越えようとするのではなく、「ギャップ越しのコミュニケーション」として把握しようとします。

ここでグリンジの長老たちの歴史把握について書くのはやめておきます。それを要約するのは僕には骨の折れることですし、そんなものを読むくらいなら『ラディカル・オーラル・ヒストリー』(なんとカッコいい書名でしょう)そのものを読めばいいわけですから。


この本のなにがそんなにも僕を引き付けるのでしょうか?

真摯に注意深く、相手の声に耳を傾けること。そして違いを違いのままに、その違いごしに対話を試みること。そういった著者の歴史に向かい合う姿勢そのものが、この本の本質です。ゆえに、歴史についての研究書でありながら、まるで異なる方向から、この本は読者の心を鷲掴みにしてきます。

この本は研究書でありながら、きわめて良質な小説やエッセイが、優れた哲学書がなしえることまでも成し遂げているのです。

他者に向き合い、話を聞き、考察し、そのプロセスのなかで他者を尊重しようとする著者の姿勢を美しく感じます。

オーストラリアの大地を乾いた風が吹き抜けていきます。赤く細かい砂があらゆる粘膜と繊維の隙間に入り込んできます。著者はそこにしゃがみこんで、一心に長老の物語を聞いています。その眼は強い好奇心にきらきらと輝いています。今ここにある人生を心から楽しみ、自分の知的欲求をどん欲に追い求め、風の音の向こうから響く声に懸命に耳を澄ませている。そんな若者の姿が浮かんでくるのです。


保苅実はもういません。そのことはこの本の本質には直接関わりのないことですが、とはいえ保苅さんが32歳の若さで末期がんに侵され、あっという間にこの世を去ってしまったことは、この本の輝きを特別なものにせざるをえません。僕たちは、彼の本を前にして注意深くありたいと強く思うことになります。彼がグリンジのひとびとにまっすぐ向き合ったように、彼の遺したことばを丁寧に真剣に扱いたいと思うのです。

「自由で危険な広がりのなかで、一心不乱に遊びぬく術を、僕は学び知りたいと思っている」

保苅実の遺した文章のひとつです。

ある人からこのことばを教わって以来、ここ最近の僕のマントラになっています。彼がアボリジニの地で一心不乱に遊びぬいたように、僕もまた自由で危険な広がりのなかに出てみることを決めました。

「勇敢で冷静、そして美しくありたいと感じています」(死の直前に、友人たちに宛てたメールの一節)

「丁寧に勉強し、静かに深く感じ、そして身体で経験し続けたいと思います。それ以外に豊かに人生を生きる方法なんてないでしょうが」(『ラディカル』のあとがき)


これらのことばに代表される保苅実という研究者に、このタイミングで出会ったことは、僕の人生に決定的な影響を及ぼしたのかもしれません。多くの読者と同様に、僕も保苅実の熱に当てられ、知性に憧れ、やさしさに感嘆し、喪失感に呆然とします。

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