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  • 執筆者の写真みずき書林

不定期連載①―会社のつくり方 その3


前回、真っ先に必要なのは登記と書きましたが、実は登記するためには先に決めなければならないことがあります。

株式会社なのか合同会社なのか、社員構成や自分の肩書、屋号、資本金、そして会社をどこに置くかなどなどです。

そのなかでも大事なのが(もちろん全部大事なのですが)、会社をどこに設置するかです。

ヒトでいえば本籍地を決めなければなりません。

僕の場合は、事務所を借りるような余裕はありませんでしたので、自宅を事務所にすることは決めていましたが、住居用のマンションなどは事務所用に登記できない場合もあるので、確認が必要です。

賃貸(購入)契約書を確認するか、管理会社に問い合わせるといいでしょう。


つまり、登記手続きをする前に、会社をどこに設置するか(そこは設置可能な物件なのか)を考えなければいけません。


***


一番不安だったのは、辞めると宣言してから数日経ったころでした。

就職活動をするつもりはなく、最初から独立して自分ひとりでやってみようということは決めていました。

とはいえ、具体的になにも決めていたわけではなく、公算があるわけでもありませんでした。

刊行物については、いま企画を進めている先生方にお願いして、新しいところで出させてもらうように交渉するつもりでしたが、皆さんが了解してくださる確証はありませんでしたし、いまいる会社との交渉がうまくいくとも限りません。

ずっと編集中心にやってきたので、流通や営業に関しては自信がありません。

取次と口座を開設するのは至難の業だと感じていました。

倉庫はどうすればいいのでしょうか。

お金だって、ぜんぜんふんだんに持っているわけではありません。

そもそも、会社をゼロから立ち上げたことなどあるはずもなく、どこからどう手をつけたらいいのかも皆目わかりません。

それでいて、いまの会社を辞めるためには、あとひと月くらいで残務整理と引継ぎを終えてしまわなければなりません。

ようするに、ほとんど何の目算もなく、何も知らず、何をしたらいいのかもわからない状態で、ひとりになってしまったのでした。


そんな状態でまずはじめたのは、部屋の片付けでした。

資金のことを考えると社屋を借りることは考えられなかったので、倉庫代わりにしていた自宅の一室を空けて新社屋にすることだけをまず決めました。決めたも何も、それ以外に選択肢はなかったのですが。

本棚を5本ばかりいれて書庫にしていた部屋を整理して、そこを職場にするしかありません。

辞めると決めてから3日後、僕は会社を早退して、段ボールを20箱ほど買ってきて、とりあえず本の片付けから始めました。

3月になったばかりのよく晴れた日の午後、これから職場にしようという六畳ばかりの部屋をひとりで片付けているときの不安感は、いまでも覚えています。それは恐怖といってもいい感じでした。

自分はなにか大それた、どだい無理なことをやろうとしているのではないだろうか。

とりかえしのつかない破滅的な選択をしていて、2カ月後には食うに困って路頭に迷っているのではないだろうか。

社員たちや関係者たちはみんなあきれはてて、僕のやろうとしていることをあざ笑っているのではないだろうか。

退職宣言を撤回して、いままでどおり、16年間勤めた会社に戻らせてもらうべきではないだろうか。

少なくとも、独立なんかしないでどこかに就職するべきではないだろうか。

本を段ボール箱につめこんでガムテープで封をしながら、そんな思いにとらわれていました。

やるべきことは山ほどあるはずなのに、狭苦しい部屋の片づけなどしている場合なのだろうか。

もっとほかに、今すぐ着手すべき喫緊のことがあるような気がして、でも具体的にすべきことはなにも思い浮かばなくて、僕は学生時代からせっせと買いためた本を箱にしまい続けました。


いま思えば、このときが気持ち的には一番しんどかったときかもしれません。

その翌週になると、僕は関係者全員に一斉送信で会社を辞めることをメールし、会社に交渉したうえで著者たちの何人かに新しい会社で企画を続行してくれるように頼むことになります。独立を支援する会社にアポを取って、登記やら社判作成やら会社設立のための具体的な動きを見出していくことになります。毎晩人と会って、退職のあいさつとともに独立の構想を語り、協力してくださる方々と出会い直していくことになります。そういった人たちの紹介で、新しい人とも次々と会うことになります。

そのように物事が具体的に動き出していけば、やるべきことは無数に増えていきます。毎日が異常な濃度で過ぎていき、不安は右心房のあたりに脈打ちながら残っているものの、それに注意を払っている時間はなくなります。不安を顧みているような暇はなくなり、まっすぐ突っ込んでいくしかなくなるのです。


ようするに、さっさとポイント・オブ・ノーリターンを超えてしまうことです。

辞めると決めたあとも数日間は、いまなら引き返せるかも、誰かが引き留めてくれるかも、などと思っていたことは事実です。

部屋を片付けながら、何をやろうとしているんだろう、自分にはきっと無理だろう、と迷っていたことも確かです。

しかし、そこから選択の余地のないポイントまでさっさと踏み出してしまったことが、結果的には良かったのだと思います。

そのためには多少の勇気が必要でした。「必要なのはほんの少しの勇気だけ」と、何人かを相手に口にしたこともありました。そして僕にはその勇気を自分のなかだけに見出すのは難しくて、実際には僕の多少の勇気を作ってくれたいくつかの外部要因がありました。何人かの人との出会いと会話が、何冊かの本が、あるいは単純に僕の年齢が、ふらふらと覚束ない足取りを前に出すための力になってくれました。

このテキストも、片付いて自分なりに機能的に整えた六畳の部屋で書いています。


あのときは不安だったねぇ、でもさっさと片せよ。後のことはなんとかなるから。と5カ月ほど前の自分に声をかけてやりたいものです。

(つづく)

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