top of page
  • 執筆者の写真みずき書林

冨五郎さんの「声」―『タリナイ』@シネマ・チュプキ・タバタ

更新日:2019年1月14日


シネマ・チュプキ・タバタは、聴覚・視覚が不自由な方にも映画を楽しんでもらおうというコンセプトで運営されています。

具体的には、耳の不自由な方には、字幕が特別に加えられています。

目の不自由な方には、イヤホンから解説音声が聞こえてくる仕様になっています。

これらの字幕や音声ガイドは、いうまでもなくシネマ・チュプキさんのオリジナル制作です。



僕は、昨年の秋からアップリンク渋谷や横浜シネマリンに何度か足を運んでいました。

また、もっと前の話をすれば、2017年6月からの本の制作過程で、折に触れて映画を観ていました。

次のシーンがどのようなものか、次のカットでは誰が何を喋るか、ほぼ頭に入っています。

なので、チュプキではあえて、イヤホンをしたうえで、ほとんど全編を目を閉じて鑑賞してみました。

どのように字幕を処理したのか気になるいくつかのシーンでは目を開けましたが、それ以外のほとんどすべてで、あえて視覚情報をシャットアウトして音声だけで映画鑑賞を試みること。そのように映画を観る(というか聴く)ことは、はじめてでした。


まず、その労力に頭が下がります。

シーンごとに場面を説明するナレーションが入り、また声優さんが複数人参加して、マーシャル語や英語の台詞を日本語に吹き替えています。

ナレーションは、簡潔かつ過不足のない情報を伝えるために、慎重に検討されいるのがよくわかります。そしてたとえば、「きれい」「美しい」といった主観的な形容は、おそらく意図的に省かれています。

僕ならつい「きれいな海が広がっていて……」と説明しそうなところが、「白い砂浜に青い海が広がっている」と解説されます。主観的・抽象的な描写は届きにくく、かえって聞く人の想像力を限定してしまう可能性がある、ということなのでしょう。色や大きさなど具体的な事柄だけが、シンプルに言葉になっています。

いっぽうで、登場人物たちの台詞を吹き替える声優さんたちは、感情豊かで聞いているだけで楽しい。普段趣味で外国映画を観るときには吹き替え版を観ることはめったにないのですが、なるほど声優のテクニックに注目しながら吹き替えを聞くのも面白いものだと感じました。


これらの労力が、たった5回の上映のために払われていることを思うとき、単純にすごいなあと感じます(主観的かつ抽象的な描写)。

僕は映画製作の裏側について詳しいわけではありませんが、たとえ予算規模の大きなハリウッド大作でも、すべての映画がこういうオプションを付与されるわけではないと思います。今回の上映があったからこそ、こんなふうに耳の不自由な方や目の不自由な方のための意匠が加えられたことは、作品にとってとても幸福で、誇るべきことなのではないでしょうか。



さて。

音声ガイドが入ることで、とりわけ印象に残った点。

それは冨五郎さんに「声」が与えられていた点でした。


この作品では、要所要所で、佐藤冨五郎さんの日記が引用されます。

黒地に白抜きで文字が浮かび上がり、プロデューサーでもある藤岡みなみさんのナレーションが、冨五郎さんの日記を読み上げます。映画を彩る南洋の明るい画面やウクレレの陽気な音楽のなかで、ときおり挿入される日記のカットは、この暖かで明るい南の島がかつて緩慢な地獄であったことを想起させます。そのとき、若い女性の声が冨五郎さんの独白を異化する効果をもっているのは確かです。引用される冨五郎日記の内容は、淡々とした若い声だからこそかろうじて受け止めれらるほど、哀しく過酷です。

そして数か所、あえて日記の字幕からナレーションが略されたカットがあります。そこでは、あえて音声をカットすることで、文字だけが強い印象を残すように演出がなされています。

つまり、冨五郎さんの声は若い女性のヴォイスか無音でしか表現しえないものとして表されています。

(そしていうまでもなく、僕がたずさわった本も、無音の世界です)


今回の音声ガイドでは、当然ながらそういった無音の字幕にも、声が与えられています。

それも、39歳だった冨五郎さんにふさわしい、男性の声です。

その声が耳に入ってきたときには、ちょっとした驚きがありました。

前述のように、声優さんは登場人物に近い音声として表現するための、感情豊かな声を持っています。その声が冨五郎さんの日記をよみあげるとき、まるで冨五郎さんが喋っているかのような錯覚にとらえられました。

もちろん、これは声優さんの声であることはわかっているのですが、若い女性の声として異化されることで独特の響きをもち、あるいは無音の字幕や本として表されていた冨五郎さんに、不意に本人に近づける意図をもった声が与えられたことに――何度も観てきたからこそ――脳が揺れるようでした。

とりわけ、作中でももっとも印象的なシーンのひとつである「勉君、ドウシタカナー」の一連のことばに声が与えられたことは、まるで佐藤冨五郎が耳元で甦るかのような錯覚を覚えました。

これはおそらく、バリアフリーを目指すシネマ・チュプキだからこそ実現された、意図せざる効果だったのだと思います。



というわけで、シネマ・チュプキ・タバタでの上映は、

18日(金)、25日(金)、26日(土)の3回。


「邦画を観ることは、耳が不自由な人にとっては大きな難関のひとつです」と知り合いが言っていました。

今回の上映は、劇場スタッフの大きな努力とともに、そういう方でも楽しめる配慮がなされています。

そしてそのことが、結果的に僕のようなリピーターもあらためて発見があるような、興味深い効果を持つことにもなっています。



チュプキはアイヌ語で「自然の光」のことだとか。

bottom of page