柳下恭平「社員と本当の意味で友達になれないことが辛い」(『経営者の孤独。』P23)
この本の冒頭で、鷗来堂の柳下さんが「社員と本当の意味で友達になれないことが辛い」と言っている。 それにならうと、2年前の僕は「友達だと思ってたけどそうじゃなくなったのが辛かった」と言えるかもしれない。
前職で、僕は10年間社員として働いた。先輩もいたし同期もいたし、仲の良い後輩も入ってきた。 それから雇われ社長になった。取締役になり、いちおう経営サイドの人間になったわけだ。 そうなって、少しずつ少しずつ、社員との関係性は変わっていった。僕の場合は、6年かかって変わった。
先に書いておくと、誰が悪いという話ではない(嫌われたくないからね、すぐフォローする)。 彼らが僕に対する態度を変えたわけではないし、経営者と被雇用者で対立があったわけでもない。むしろ平社員上がりで年齢も近い社長ということで、僕はどちらかというとなんでも喋りやすい上司ではあったと思う。古参のメンバーは、僕が社長になっということすらほとんど意識していなかったかもしれない。
あのころ、この本を読んでいたら――この本を真面目に、でもリラックスして享受できる自分だったなら――もう少しうまくやれただろうか。
いま振り返れば、前職は昭和〜平成ニッポンの「会社らしい会社」だった。 忠誠心のようなことが暗黙裡に求められていて、その度合いは仕事にかけた時間に比例するという雰囲気があって、濃いめのグレーの部分もあって、社員はみんないい人たちで働き者で、というクラシックな組織だった。 これは創業社長であり、僕が社長だったころは会長だった人の志向によるところが大きい。世代的にも性格的にも、彼が働いてきたのは男たちが上下に連なってしのぎを削る世界で、思い描いている会社像は古式ゆかしいものだった。
彼には「友達」はいなかった。同世代の社員もおらず、社員たちはみんな孫のような年齢の我々だった。自分の影響力がオフィスの隅々まで行き渡ることを求めていた。彼はそのように生きてきた。ある種の敬意を払うに値する生き方ではあると思う。 でも、元社員で同年代に囲まれていて嫌われることに慣れていない僕は、そんなふうにやっていくことはできなかった。
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