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  • 執筆者の写真みずき書林

往復書簡「本を作ること、生きること」第3回復路――許されている間に、善き人たれ


堀くんへ



まずはこの写真を見てくれ。



これは2018年3月、みずき書林を立ち上げたときに、妻が注文して作ってくれたケーキ。お祝いのプレートとともに、愛読書のクッキーが添えられている。

1冊は『ラディカル・オーラルヒストリー』。

その下のもう1冊はマルクス・アウレリウスの『自省録』。

ひとりになって、どきどきしていたころを思い出す写真です。


さて、


「みずき書林設立当初、実は企んでいたこととか、こっそり目指していたこととかありませんか? 例えば、数年後に会社を大きくする、社員を雇う、みたいなことって、考えたりしたのでしょうか?」


ひそかに企んでいたこと……。なにもないなぁ。ただ本を作って、周りにいてくれる人たちと仲良く楽しくやっていければ、それだけでいいと思ってた。会社を大きくするとか、大儲けするとか、そんな野心もとくになかった。特に会社を大きくするなんてまっぴらごめんだった。前職の社長時代に、人間関係ではさんざん悩まされたばかりだったから(笑)。

そういう意味では、ウェブサイトに書いた〈みずき書林がやりたいこと〉にすべて言い尽くしているといってもいい。あのテキストはウェブサイトを立ち上げる時に慌てて書き飛ばした文章だけど、あとで手直しをしようと思って読み返しても、直すべき点が見当たらなかった。これで十分だと思える内容でした。


……いや、こっそり目指していて実現できなかったこと、ひとつだけあったな。

当時から今も、僕はさるドキュメンタリー映画監督と付き合いがあって、2018年当時、その人の出版企画が手元にあることが、独立のひとつの支えになっていた。幸いなことに、それ以降も付き合いはずっと続いている。

みずき書林がほんとうに資金的に余裕がある状況になったら、その人の映画に出資するというのは、ひとつの密かな企みだったな。外国に取材に行ったり、編集機材を買いそろえたり、そんなことに少しでも役に立てばと考えていた。映画に出資なんて、なかなかいいじゃない? そういう、出版とは直接かかわりのない活動もしてみたかった。

まあ、結局そんな資金的なゆとりが生まれないままに今に至ってしまっているけど。

正直に書くと、それだけは、実現できなかった密かな企みだったなあ。


*


さて、これを書いている時点の2日前、僕は不意に39度を超える熱に悩まされました。以来、ときおり熱が出ては消えています。

また、ここ1週間ほど、腹痛(胃痛)が断続的に続いている。

ここ最近調子がよかっただけに、こういったちょっとした異変は、嫌な予感として感じられることになる。いずれやってくるに違いない、もっとよくない事態への先触れのような気がしてしまうわけだ。


……僕のような病気になった者が、将来にどのような「期待」を持ちうるだろうか。

いま思いつく返答を書くと、

僕は、これからやってくるであろう痛みや苦しみに対して、最後まで理性的でありたいと期待しています。

あるいは、周りにいてくれる人に対して、丁寧でいられたらと期待しています。

これはかなり正直なところです。


病気が発覚した1年4カ月程前に、僕は荻田泰永さんのクロストークに出演させてもらい、そこで「最後まで理性でコントロールしたい」と繰り返し強調しました。

また当時のブログにも、保苅実にならって「丁寧で、勇敢でありたい」と書いています。

その気持ちは、今に至るまで変わっていません。というか、時間が経つに従って強くなってきています。

この先、具合が悪くなる時があるでしょう。苦痛や不快感に苛まれる日々がやってくるかもしれません。最後の日々を、どのような状態で迎えることになるのか、誰にもわかりません。ですが最悪の場合、そういった苦しみに悩まされることもあるでしょう。

そんなときに、あくまで理性で自分を律しながら、丁寧で勇敢でありたいと期待しています。


「あたかも一万年も生きるかのように行動するな。不可避のものが君の上にかかっている。生きているうちに、許されている間に、善き人たれ」


先述のマルクス・アウレリウスの『自省録』のことばです。

「善き人」というのがどういう人なのか、僕にはまだわかりませんが、ともあれ、いまの自分が目指すべきこと、自分に期待すべきことは、比較的はっきりしています。

かなりの確率で、僕は近い将来、他の多くの仲間たちや同世代以上の人たちよりも先に、死んでしまうでしょう。

そのこと自体が怖いわけではありません。幸いなことに、いまのところはまだ。

それはおそらく、そこに向かっていく態度をかなり早期の段階で決められたからでしょう。

僕は丁寧で勇敢でありたいと思っています。そのために、理性的でありたいと願っています。

そして理性的であるための障害となるものが、肉体的には苦痛であり、精神的には未練なのではないかと思います。このふたつをどう克服し、あるいはやりすごすか。簡単なことではありませんが、おそらくトライするに値することなのだと思います。

再びマルクス・アウレリウスより引用。


「人間として、市民として、死すべき存在として物事を見よ。そして君が心を傾けるべき座右の銘のうちに、つぎのふたつのものを用意するがよい。そのひとつは、物事は魂に触れることなく外側に静かに立っており、わずらわしいのはただ内心の主観からくるものにすぎないということ。もうひとつは、すべて君の見るところのものは瞬く間に変化して存在しなくなるであろうということ」


マルクス・アウレリウス・アントニヌス、すげぇ。

2世紀のローマ皇帝でこんなことを考えていた人がいたなんて、ギリシャ・ローマ思想は深いわ。


*


しかし我々はいま、立場はまったく違えど、似たような境遇にいるのかもしれない。

君は「いまその場所に立ってみて、なんとか、見よう見まねで、踊ってみている」という状況とのこと。

僕もまた、死ぬという危険な拡がりのなかで、苦痛と未練を克服して、なんとか自分を律しようとしているところです。

君はどんなことを克服しようとしているのだろう? 

お互い簡単ではありませんが、しかし案ずるな。君が踊り続けた先には、心躍るいくつものステージがある。

なお、


>金策どうするのかとか、考えなければいけないのですが。


については、本を売って食っていくしかないのよ。そういう職業なんだから。

科研や学内助成があるに越したことはないでしょう。中小企業支援助成など国や地方自治体の助成金に目配りするのも悪いことではない。

でも、本を届けてお金を得るというのが基本スタイルになります。そこは腹をくくったほうが良い。

そのためには、なるべく早くに、コンスタントに売れる既刊本を作ることが大事だと思う。稼働する在庫を持つこと。

(死ぬことへの向き合い方とかギリシャ・ローマ思想とか書いておきながら、いきなり超具体的な話をしてすまん)


*


このテキストはキング・クリムゾンの『Starless and Bible Black』を繰り返し流しながら。脳がかき回されるような音楽。プログレって君との間ではいままであまり話題にしてこなかったけど、ユニークな音楽であることは確か。なかでもクリムゾンはかっこいい。




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