ここ1年半、一番気になっている文章のひとつを、長いですが引用します。
河野裕子・永田和弘他著『家族の歌』が初出で、僕は『たとへば君 四十年の恋歌』に転載されているものを、前後の歌も含めて繰り返し読んでいます。
――八月十一日。いよいよ裕子の状態が悪い。昨日から吐き気が強く、持続的に皮膚から沁み込ませていたモルヒネのパッチをはずした。
その影響だろうか、朝から苦しさに胸を掻きむしる。息苦しくてたまらないと言う。姿勢を変えてやる。それでも苦しさは変わらない。汗をかき、「苦しい、どうにかして」から、「もう死なせて」に変わる。
酸素の細い管も鼻からはずしてくれと言う。寝巻きが苦しいというので、鋏で切り開く。「苦しい」と声を出すたびに酸素消費が高まり、さらに呼吸が苦しくなる。
手を握り、「大丈夫、だいじょうぶ」と繰り返すだけの自分の無力を呪わずにはいられない。「もうしゃべらないで。ゆっくり息を吸い込んで……」と、頭を撫でつづける。――
このあとも感情を揺り動かす文章が続くのですが、ここでの自宅療養をしているがん患者のディティールがいまではよくわかるだけに、いっそう胸が締め付けられます。吐き気の強さも、皮膚に貼る痛み止めの麻薬のシールも、酸素を吸入する細い管も、よくわかる。
正直に書くと、もっとも怖いのは、
「「苦しい、どうにかして」から、「もう死なせて」に変わる」
という一節です。
あの河野裕子さんがここまで泣き叫ぶように訴える苦しさとはどのようなものなのか。それはいずれ僕も経験しなくてはならないことなのか。
病名で検索をしたり闘病記の類を読んだりしていない僕にとって、この一文はがん患者の最後を描いて印象的な唯一の文章と言っていい。この激しい文章と、諏訪敦さんが父親を描いた静謐な画のはざまに、僕の死もまたあるのだろうか。
この翌日、河野裕子さんは亡くなります。
病床で呟いた最後の歌は、
手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が
でした。
(かつて新宿の喫茶店でこの歌を紹介したら、智秋さんがその場で号泣して困ったことを憶えています)
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