8月に入ってからいろいろありました。
まあ、主に入院していたのですが、それ以外にも実家に帰って家族と過ごしたり、あまり参加できなかったけど森岡書店のイベントがあったり。
そんなこんなで慌ただしくてなかなか書けなかったんだけど、智秋さんのお通夜の日のことを少し書いておきたい。
智秋さんが亡くなったのは8月1日でした。
ご家族から、翌日2日の18時からのお通夜のご案内をいただきました。
場所は智秋さんの実家、大阪の八尾市です。
そのとき僕は岡山の実家に帰省していました。
両親と妻と、アメリカから久しぶりに帰国していた姉の家族4人で、賑やかに過ごしていたのでした。
翌日2日は東京に帰る予定の日でしたが、急遽八尾に向かうことにしました。
2日は朝10時から岡山市街に出て服を買いました。
黒のスーツ、白シャツ、黒いネクタイ、ベルト、靴下、黒い靴。
なんせ夏休みの帰省なので、ラフで浮かれた服しか持っていません。
しかしスーツセレクトはすごい。開店と同時に店に入り事情を説明するや否や、あっという間に寸法を測ってくれて、どんどん服をあてがってくれます。
試着と裾直しを含めて、上記一式が手渡されるまで、わずか45分。
しかも帰宅して着替えてみて気づくのですが、タグやラベルの類はすべて切ってあって、すぐに着られる状態にしてくれていたのでした。
香典の準備などもして、タクシーでいったん実家に帰ります。
お昼を食べて、2階で横になって少し目を閉じます。
とても暑い日でした。これから大阪まで行って、そこから東京まで戻るつもりです。体力を温存しておかないといけません。
起きて、スーツに着替えます。
小さな姪っ子が、どうして林ちゃんは黒い服着てるの?と訊いてきます。
ちょっとね、ちゃんとした格好でお友だちに会いに行かなくちゃいけないんだ。
スーツケースに入れていた帰省用の荷物は、実家から東京に送ってもらうことにしました。なるべく身軽に。
15時くらいだったでしょうか。
父と母が車で送ってくれます。まずは東京に戻る妻を岡山空港まで。
それから市街に取って返して、岡山駅まで僕を連れて行ってくれます。
道中はずっと無言でした。
もう間もなく岡山駅に着くというところで、ぽつりぽつりと智秋さんのことを話しました。
せっかくだから、お互いの家族も含めて会えたらいいねなんて話をしたことがありました。
実現はできなかったけど、智秋さんの話はずっと両親にはしてたんだよ。本だって読んでくれてたしね。だから会ったことはなかったけど、身近に感じてたんだ。
岡山駅から新幹線で新大阪へ。
私鉄に乗り換えて、斎場のある駅まで。初めての場所に行くときに慌てるのが嫌だから、僕はいつも1時間くらい早めに着くことにしています。
少し時間があります。外は暑い。
駅前のミスタードーナツに入り、ドーナツをひとつとアイスティーを頼みます。二度と来ることはないであろう、八尾のミスド。僕はいかにも場違いで暑苦しい喪服です。
前回八尾に来たのは5月の半ば。もちろん智秋さんに会いに行ったのでした。
あのときは一緒に「関西で一番おいしい」というとんかつ屋に行ったね。
噂通り、ちょっと感動的に美味しかった。
18時前。
駅からタクシーで行こうと思っていたら、タクシーが一台もいないし、くる気配もない。
しかたなく、徒歩15分ほどあるという斎場まで歩き始めます。
住宅地を抜けて大きな国道を渡って、もう少しで着くというところで、後ろから声をかけられます。見元さんです。
お互い、いままで見たこともなかった黒い喪服姿。
智秋さんが見たら「ふたりとも違うな~」と笑ったことでしょう。
斎場について、お経を聞いて、ご遺族のご焼香。
それから我々の焼香です。
最前列のご遺族に一礼。お母様が泣いていらっしゃいます。
祭壇の横には、『旅をひとさじ』が飾られています。
智秋さんの遺影は文庫本を持っていて、森岡さんがデザインした白いTシャツを着ていました。
お焼香が終わってみると、いつの間にか荻田さんが来ています。
子どもたちと歩く100マイルウォークの途中で、たまたま奈良にいたとのこと。それで急遽車を飛ばして、隣県まで駆け付けてきました。
歩きやすいTシャツと短パンとスニーカー。でもそんなことはぜんぜん関係ないのです。智秋さんが見たら「っぽいわ~」とやっぱり笑ったことでしょう。
さすがのフットワークと情の厚さなのです。
それから、智秋さんのお顔を見るために、列を作って祭壇へ。
僕の前には見元さんと荻田さん。
正直、智秋さんを見るのがこわい。
こわいというか、心の準備ができていないのです。
ここに来るまでに、新幹線のなかでも私鉄のなかでもミスドでも、この瞬間のことばかり考えていました。でもいざとなると、心が縮み上がっています。
亡くなってしまった智秋さんの顔。あんなによく笑ってよく泣いていた智秋さんの顔。
対面を終えた見元さんが、ぼろぼろ泣きながらお母様と話をしています。棺の前で体をかがめている荻田さんの背中が見えます。
順番が来て、僕はおそるおそる棺に近づきます。
小窓から、智秋さんの顔が見えます。
明るい水色の和服を着て、瞼を閉じて、ほんの微かに口元が開いていて、頬はふっくらしていました。ほんとに眠っているような、穏やかな表情でした。
お母様と妹さんたち、5月に会った従兄弟さんにご挨拶して、隣室で食事をいただきます。
見元さんと荻田さん、井上陽子さん、大阪のお友だち。途中から二階堂和美さんも同席して。
智秋さんに。と献杯。
しばし智秋さんの話をしました。
さっきまで泣いていたみんなも僕も、なんだかさっぱりした表情です。
生きているってなんだか不思議なものです。
こんなときでもごはんを食べて、笑顔で話をして。もう二度とやってこない今夜をみんなで分け合ったのでした。
その日のうちに東京に戻りたかったのですが、ぎりぎりで終電を逃したので、結局大阪に一泊することに。
5月に泊まった新大阪のホテルに電話して部屋をとりました。
帰りの駅のホームで、二階堂さんとばったり。
広島に戻るという二階堂さんと、新大阪まで一緒に帰りました。
今まではメッセージのやりとりだけで、今回が初対面でしたが、40分ほどゆっくり話をすることができました。
智秋さんとの出会いや、今年の3月に亡くなってしまった伴侶のガンジーさんのこと。宗教者として、信仰することと歌うことの関係について。
新幹線の乗り換え口で、握手して別れました。
柔らかくて温かな手でした。
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