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  • 執筆者の写真みずき書林

毎日、ひとの日記を読むこと(上)

更新日:2020年3月20日


誰かが、過去のいつかの今日、日記を書いていた。


それを一日ずつ、その人が綴ったのと同じ速度で読むという経験は、そんなにする機会がないのではないだろうか。

誰かの日記を読むとき(それは多くの場合、文士とか政治家とか有名人の場合が多いだろう)、我々はおそらく、ある程度の分量をまとめて、数日分や数か月分を、通読するだろう。



ここしばらく、僕はある人物の日記を、75年前の今日綴られた分だけを、毎日少しずつ読んでいくという経験をしている。

それはtweetのかたちで流れてくるので、何人かのフォロワーも同じ経験をしているはずだ。

僕はいいねを押す。

SNSであなたの日記をtweetしている方がいて、僕は読んだら「いいね」を押すんです。と言っても、75年前の人である彼には絶対に意味が解らないだろう。



その人は佐藤冨五郎という名前だった。

その人はもう間もなく40歳になろうという日本人男性だ(そして結局、彼が40歳になることはなかった)。

彼は日本軍の一兵士であり、父であり夫であり、つまりは無名のごく普通の人だった。

彼は故郷を遠く離れた遠い南洋の地で、餓死した。

75年前の4月25日が、彼が絶筆を綴った日になる。翌日、その人は死ぬ。

もうすぐ、その日が来る。その日まで、日記は続く。




その日記は、消えてしまい、どこにも届かなかった可能性が高いものだ。

日本からはるかに離れた島で書かれ、本人も死んだ。

日記は生き残った戦友に託されたが、引き揚げの混乱の中でいつ失われてもおかしくなかっただろう。

たとえ日本に戻ってきたとしても、70年以上保存され、解読され、日の目を見る確率はきわめて低い。

実際、この日記と同じように戦地で書かれながら、焼かれ、吹き飛ばされ、廃棄され、朽ち果てた日記は膨大な数にのぼるだろう。

いまでもどこかの納戸や押し入れの奥に仕舞いこまれたままの日記も、たくさんあるに違いない。



誰にも知られずに消えていくはずだったものが、いまここにある。

そのことが、不思議だ。

もしこの日記が誰にも知られずに消えてしまい、一握りの家族のほかは佐藤冨五郎という人物のことを誰も知らなかったとしても、世界はいまとさほど変わりはしなかっただろう。

たしかに僕はこの日記を本にして刊行したけれど、もし日記がなかったとしたら、僕はそんな本のことなど夢想だにせず、それはそれで普通に暮らしていただろう。

この日記を通じて知り合うことになった多くの人と出会うこともなく、でも当然ながらそんなことはお互い気にも留めないで、いまとちょっと違った、でも大筋においては大差ない暮らしをしていただろう。

実際、このような日記は――消え去った数も膨大だろうが――残っている数だってそれなりに多い。

当たり前のことだが、世界は、この日記なしでも普通に流れていたに違いない。



僕は日々、佐藤冨五郎という赤の他人の書いた日記を読む。

tweetがなかった日は、ああ今日は冨五郎さんは日記を書かなかったんだなと思う。僕もブログを更新しない日があるから、その気持ちはわかるような気がする。

彼はそのことを知らない。自分の日記がその後どうなったか知らず、永遠に知ることはない。



戦争の現実が綴られているだとか、家族への強い想いとか、餓死に向かう哀しみとか、この日記からはさまざまなことを読み取ることができる。

歴史学的に貴重な資料だという言い方は、おそらく正しい。本も、そのようなものとして編んだ。



でもここ最近、毎日その人の日記を眺めながら僕が感じているのは、もっと茫漠として曰く言いがたい感情だ。

なんとかことばにしようとするなら、こんなふうになるだろうか。つまり、


我々が本当に心の底で切々と感じることは、うまく伝えることはできず、誰にもシェアできない。

我々はいつか必ず100%の確率で死ぬことになるが、それがいつなのか知らず、何か大事なことを感じているはずなのに、それを伝えることはできない。



「ことばにならない」とか「曰く言いがたい」などと、もどかしくも矛盾した言い方をせざるをえない想いが、ときに僕たちを訪ねる。

我々はその断片的な想いを狂おしいほど大切に思いながらも――そして自分以外の誰も彼もが同じように感じていることを想像していながらも――お互いの切々とした実感を分ちあうことはできない。



だからこそ、まるで見知らぬ他人が書いたことが、愛おしい。



(つづく。たぶん)




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