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  • 執筆者の写真みずき書林

無数のひとりが紡ぐ歴史(下)――日記とブログ


次に読んだのは、鬼頭論文とは梅棹忠夫を介して緩くリンクしている、西田昌之の第10章「物語化する自己記述」。

個人的には、西田論文と田中祐介による第7章「飢える戦場の自己を綴りぬく」を並べて読むことを勧めてみたい。

このふたつは、「誰に向かって書くか」「読まれることをどこまで意識するか」ということを考える好材料を提供してくれる。

それは個人的には、僕がこのブログを「誰に向かって・なぜ書いているのか」という点を考えることにもつながるものであった。

以下、論考に対する考察というよりも、かなり私的な自己語りに偏るかもしれない。


漆芸家・生駒弘の残した日記と自伝を比較することで取捨選択と自己演出について考察した西田は、日記と自伝の差について、


「物語化による過去の再構築の度合いが自伝では深く、日記では浅くなる」(P309)


と要約する。ほぼ毎日ブログを書いている者として、この分析には大いに賛同する。

僕が書いているこのブログは、日記と自伝の中間くらいに位置するような類のものである。その日に起こったことや考えたことを書いているという意味では日記的である。そしてリアルタイムで誰かに読まれることを意識しているために、取捨選択と自己演出による再構築の度合いは、その日一日の間にできうる範囲内で、日記よりも深い。

さらにここ最近は、継続性そのものが意味を持つことを強く意識するようになっている。つまり、ある程度まとまった分量のテキストが後に残ることを意識するようになっている。換言すれば、始めた当初は仕事の告知や宣伝に使おうと思っていたこのブログは、いつの間にか僕という人間のかなり生身でコアな(と自分で思っている)部分を表現できる唯一の媒体に変化してきている。そういう意味では、多少は自伝的でもあるかもしれない。

さて、となると、


「自伝という解釈された過去によって再構築された物語と、多くの未解釈の記憶が包括される日記は、どちらが本当の自己をより表象したものと言えるのであろうか」(P329)


という西田の指摘は、「日常的に何かを書き続けること」の本質を抉って実に面白い。

先述のとおり、この記事は「だでる調」で書かれている。あえて長く書いて韜晦することで遊んでもいる。会えば「さん」付けで呼んで親しく会話する相手に対して、論文調に名字で呼び捨てにすることで距離を取ろうとしている。そして内幕を書いてしまえば、このテキストは本書を献本くださった方々への御礼として書き始められた。それをこういう場で晒すのは、公開することで少しでも本の告知の役に立てば、という思いがあるからだ。と同時に、自分が考えたこと、書いたことを残しておきたいという欲求も認めないといけないだろう。このブログでありもしない大嘘を書いたことはない。でも意識的・無意識的な物語化は、そこかしこに埋め込まれているのは間違いない。

事程左様に、ここでは多くの取捨選択と自己演出による再構築が行われている。

この、間もなく1000回を迎え、現時点で90万語をゆうに超えているであろうブログは、「本当の自己」とどの程度まで重なっていて、どれくらいはみ出しているものなのか。と考えてみれば、それはまさに回答不能である。少なくとも自分で回答できる類のものではない。

そもそも「本当の自己」とは一体何のことなのか。


そのようなことを考えながら、第7章の田中論文を読んだ。

ここで取り上げられている佐藤冨五郎という人物には、この数年間でかなり親しんだ。と思っている。

制作関係者を除けば、おそらく僕はドキュメンタリー映画『タリナイ』をもっとも多く鑑賞したうちのひとりだと自負している。いうまでもなく、冨五郎日記全文翻刻を載せた『マーシャル、父の戦場』の版元として、日記テキストも何度も読んだ。撮影のために日記現物を自宅に預かっていたことすらある。

そのような経験を経て、佐藤冨五郎という人物のプロフィールはもちろん、性格すら知っている気になっていた。優しく温厚で、まわりに配慮する男。責任感があり、家族思いで、ひたむきな意志をもった男。要するに彼は僕の中で、優しすぎて兵士には似つかわしくない人物として捉えられていた。大日本帝国軍という抗いがたい巨大な機構に巻き込まれ、故郷を遠く離れた見知らぬ土地で、望まぬ死を受け入れなければならなかった穏やかで哀しい人物。

しかし「本当の佐藤冨五郎」とはどんな人物なのか。


田中は冨五郎日記が「軍人にふさわしい」漢字カタカナ文で綴られたという事実に注目する。いわば、彼の「文体」は、忠良な兵士の模範的なそれであったと。

この指摘は、僕が知る冨五郎像に合致するものでもあり、同時に意外に感じる部分でもあった。

与えられた環境を受け入れて適応しようとするという意味では、真面目に兵士の任務を全うしようとするのは、いかにも冨五郎さんらしい。

いっぽうで、僕はこれまで冨五郎さんを「帝国日本軍の一兵卒」として捉えたことがなかったことにも気付かされた。少なくとも、それは外面的なプロフィールの一側面ではあっても、彼の本質にかかわるステータスではないと思っていた。

冨五郎さんはひとりの個人であり、忠良なる帝国軍の一員として自己規定していたとは考えたことがなかった。いや、考えたくなかったというべきか。


しかしそのような文体をもって書かれた「内容」はどうか。


「冨五郎の個人的な「喜」「哀」「楽」の感情は日記の随所に綴られる」(P245)


「日記に向き合い感情を言語化する瞬間においては、それらの感情を伴う自己こそが、冨五郎が綴りたい自己の姿であり、より広い時間幅で言えば、日記の紙面に留めたい、そして遺したい自己の姿であった」(P245)


「「家族に遺したい自己の姿」とは、(中略)忠良な兵士として最期まであり続けた自己の姿であると同時に、あるいはそれ以上に、家族を想いながら「最後マデ頑張ッタ」夫の姿であり、父の姿であった」(P247)


ここには、我々の知る冨五郎さんらしい姿がある。

彼は「怒」の感情をあえて日記に綴らず、家族を想い、そして戦友を信頼した、そのような個人であった。と田中は述べ、僕は安堵することになる。

(あえて書いておくが、ここでの田中の議論にも、冨五郎さんへの強い感情移入が感じられる。田中もまた僕同様に、軍人として自己規定していた佐藤冨五郎を、「軍人らしくなかった人物」として捉えたいという欲求を有しているのではないだろうか)


ここまで書いてみて、はたと気づいた。

僕をはじめ多くの人は、大川史織に導かれて『マーシャル、父の戦場』という本を作ったが、それは冨五郎日記をまるごと含みつつも、そこに多様な論考やエッセイやインタビューを重ねることで、冨五郎の物語を再構築する試みであったのだ。

『マーシャル、父の戦場』に関わった我々はみんなして、「自伝」ではないものの、冨五郎の生きた時空間と、冨五郎という人物そのものを再構築する物語化を行なったのだ。そしてその過程で、佐藤冨五郎という人物に強く感情移入し、銘々の冨五郎像を構築することになった。

ここで再び、西田の問いかけを召喚する。

「自伝という解釈された過去によって再構築された物語と、多くの未解釈の記憶が包括される日記は、どちらが本当の自己をより表象したものと言えるのであろうか」

自分のブログに引き寄せて、「自分では答えることは不可能」と先述した。

冨五郎日記という他者の日記および、それを元に制作した本に引き寄せてみても、やはり同じ答えになりそうだ。

漢字とカタカナで綴られた日記は佐藤冨五郎の「本当」だった。そして本に描かれた「我々の冨五郎さん」も、やはり僕にとっては「本当」だ。


佐藤冨五郎は家族思いの心優しい男だった。

同時に、忠良な兵士であろうとした。そのことは、当時の日本の成人男性の多くにとって、当然のことだった。

再び、今の感覚で過去を断じることには慎重でなければならない。


「日記文化から近現代日本を照射する」とは、おそらくはこういう行為なのだろう。

つまり、日記を書き残した過去に生きた人たちだけでなく、それを読み解く研究者も実践者も読者も、全員が歴史のなかに生きていることを自覚しながら、「無数のひとり」のなかに自分自身も位置付けること。

冨五郎の人柄に触れ得たと感じるとき、たしかに我々は冨五郎を知ったように感じる。歴史から学び得た知識を総動員して、過去を断罪することに慎重であり続けようと努めながら、我々は出会ったこともない過去の人びととたしかに触れ合う。家計簿や手帳や日記を通して。


佐藤冨五郎が忠良な兵士・よき家庭人・日記を綴る人として自己を位置付けようとしたように、僕もまた、出版社経営者・編集者・ブログを書く人として自己を位置付ける。そのようなものとして僕は本書に接し、冗長な文章を連ねる。

そして僕の残した本や文章もまた、いつか「近現代日本を照射する」材料になるのだとしたら、それは歴史のなかの無数のひとりとして、愉快なことだ。


*


最後に、12章「映画『タリナイ』上映から一年」(大川史織)について。

先述のように、僕は『タリナイ』という映画を、かなりの回数観ている。本も一緒に作った。映画を公開し、本を出した後も交流は続いている。

よって、この講演録に記されていることはほぼ既知のことであった。しかしなぜか、こういうかたちで大川の語りやテキストに触れるたびに、いつも胸を突かれるような気持ちになる。大川は近くにいて、同時に遠くにいる。

なぜそのように感じるのか。

本書でも語られる大川のライフヒストリー(「解釈された過去によって再構築された物語」)はいつも僕に「無数のひとり」を感じさせるからだろう。

いわば僕にとって――みずき書林という歴史の本を中心に刊行する無名のひとり出版社にとって――大川は「無数のひとり」の象徴といえるかもしれない。人懐っこく、でも鋭い牙を隠し持った小さな獣としての「無数のひとり」。

17歳の女の子がマーシャル諸島共和国と出会い、紆余曲折を経て、試行錯誤を重ねて、ドキュメンタリー映画と本を作る。その間に、たくさんの人と出会って信頼関係を結んでいく。いまなお大川は紆余曲折と試行錯誤の只中にいて、それはインプットとアウトプットを重ねながら、これから先もずっと続く。(僕は彼女が行きつく先を見届けることはない。keememej wot eo.)


この仕事をしていると、研究し、思考し、移動し、表現する人にたくさん出会う。まさに無数のひとりに出会う。

僕に言わせれば、打ち込み、考え続けられる対象を持っていて、そこにフォーカスした人生を送っている彼ら彼女たちは、みんな特別に思える。

僕の周りには、特別な人がたくさんいる。

日記の書き手であり、すでにこの世にいない佐藤冨五郎も、その読み手であり同時に広め手でもあり、いま生き生きと生きている大川も、歴史のなかで等しく「無数のひとり」であり、僕にとっては特別な関係を結んだ人びとのひとりだ。

「あなただけが特別なわけじゃない。それでも、あなたは特別だ」

これは、僕が彼ら彼女たちのために考えた、最大級の賛辞のひとつだ。


*


以上で、この異様に冗長なテキストをひとまず終える。

読み返してみて、どうにもまとまりがなく、散漫な文章を書いたという反省がある。

批評や書評というレベルではない。たんなる感想文だ。

しかしこのように日々ブログを書いている者として、日記はとても共感する面白いメディアだ。

取捨選択と自己演出について、物語化について、読者を想定する自意識について、自分自身が歴史化していくことについて、今後も継続的に考えていくことになると思う。


ふう。他社さんの本についてこんなに長く書いたのは初めてかもしれないな。




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