両国にて、トム・プロジェクト『無言のまにまに』という芝居を観ました。
戦没画学生の画を展示する無言館ができあがるまでの物語。
(無言館にも、何年か前に行ったことがあります。よく晴れた、でも風が強い日でした。コロナもがんもどこにもなかった3月でした)
とても良い芝居でした。
考えたことはいくつかありますが、そのなかでひとつだけ書いておきます。
美術館立ち上げに奔走する老教授・小宮山は、戦争体験者で、徴兵されて満洲に送られるものの、肺を病んで本国に送還されて生き残ったという経験を持っています。
集めて回っているのは、同じ美術学校にいた先輩や同輩たちの画です。
ある遺族の家を訪ねた帰り際に、対応してくれた戦没画学生の母親が小宮山の背中に顔をうずめて、一瞬抱きしめる場面があります。
小宮山は「自分の向こうに、死んだ息子・弟・夫を見ている」という思いにとらわれ、「自分にはこの仕事をする資格がない」と、美術館の立ち上げに奔走する気力を失っていきます。
唐突ですが、井上ひさし『父と暮せば』の一節を引きます。
主人公の美津江が、原爆で死んだ親友・昭子さんの母親を訊ねたときの会話です。
老齢の小宮山、まだ若い美津江は、ともにサバイバーズ・ギルト(survivor's guilt)を感じて生きています。
昭子さんの母とは違い、小宮山の背中に抱きついた母は恨みを抱いているふうには描かれていませんでした。小宮山に感謝し、息子と同一視した小宮山を慈しんでいる演出だったと思います。
でも僕は反射的に『父と暮せば』のこの場面を思い浮かべました。
心のどこか、本人の眼にも止まらないような小さな片隅で、ほんのわずかでも「なひてあんたが生きとるん」と思わなかった、とは誰にも言いきれません。
ここからは書き残すのに少し勇気がいるのですが、ぼくもごくささやかながら、このサバイバーズ・ギルトに近い感情を抱いたことがあります。
細かいシチュエーションは割愛します。
夜にその方のご自宅にうかがって話をした際に、ぼくはある罪悪感を感じました。
もちろん、その方とご家族はとても親切で優しい方でした。訪ねていったわれわれと会えたことを心から喜んで下さり、たくさんのお心遣いをいただきました。昭子さんのお母さんのようなことは微塵もありませんでした。
ぼくの病気のこともご存じでした。
それでもなお、ぼくは知識としては知っていたサバイバーズ・ギルトを、このとき一瞬ながら胸にせまって感じたのでした。
病気ではあるものの、なぜぼくはそれでも屈託なく笑っていられるほどには元気なのか。その様子は、それだけで誰かを傷つけることになっていたのかもしれません。
これだけではきっと、何のことだかわからないと思います。
でもこれ以上細かく書くことはできません。
ただ昨日、老母が小宮山の背中に腕を回したときに、芝居と本と僕の実人生が一本の直線でつながった感覚があって、そのいたたまれなさに、少し泣けたのでした。
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