アジア太平洋を、1941年12月8日の真珠湾奇襲から始まり、45年8月15日の玉音放送で終わったものとみなすなら(始まりと終わりにに諸説・異説があるとしても、最も一般的に認知されているのは、12月8日であり8月15日でしょう)、その間は1347日になります。
そしてそのちょうど中間地点はいつかというと、1943年10月11日~12日が、開戦から673~674日目で、折り返し地点に当たります。
もちろん、この折り返しの日にはなんの意味もありません。
当時の人たちはこの日が中間地点だとは知る由もなく、またいまから振り返ってみたところで、結果的に真ん中だというだけで、とりたてて何の記念日でもなければ象徴でもありません。
ちなみにこの1月程前の9月8日にはムッソリーニ失脚後のイタリア・バドリオ政権が無条件降伏しています。
10日後の10月21日には明治神宮で学徒出陣壮行会です。
43年10月11日・12日はそういう時代の只中だったのだ、そしてそういう時代が、このあとも同じ時間だけ続くのだ、という以上の意味付けはできません。
そしてそういう何でもない日だからこそ、たとえばその日に人々が何をしていたのかを知ると、ある種の感慨を抱くことになります。
たとえばマーシャル諸島に配属された海軍兵・佐藤冨五郎さんは11日、梨の缶詰の配給を受け、おそらく胃腸薬「わかもと」を飲みはじめています。
12日には早朝から訓練を行い、あめを配給されています。
このあと1年半後に栄養失調で亡くなるとは知る由もなく、来るべき日々に比べると食糧事情はまだましであり、兵として訓練なども行っています。
たとえば(日本の開戦と敗戦にはほとんど関係のない)アンネ・フランクは、10月11・12日には日記を書いておらず、一番近い記述は17日のものです。
隠れ家のなかの人間関係がなかなかうまくいかず、「ここ一カ月ほどのあいだに、このごりっぱな家のなかでとびかった口汚い応酬の数々、それを考えると、茫然としてしまいます」と綴っています。
いうまでもなくアンネもまた、自分の身に何が起こるのかはわかっていません。
われわれは、自分がいま人生のどのあたりにいるのか、明日には何が起こるのか、まったくなにも知りえないまま生きています。
たとえとるにたりない日々であっても、とりあえず安定していればあえて異を唱えることもない。そんな日が明日も続くような。
昨日は日記文化のオンライン研究会を聞いていて――研究会での発表内容とは直接は関係がないのだけど――そのようなことを考えました。
Komen