井上祐子 編著

体裁:B5判並製・カバー装・縦書
頁数:224頁
定価:本体3400円+税

東方社とは、陸軍の傘下にあった写真工房である。
いま見ても瞠目に値する大胆な編集技法を駆使した大判のグラフ誌『FRONT』を制作していたことで知られ、戦後を代表することになる多くのデザイナーや写真家が集っていた。
本書は、東方社カメラマンたちが国内・中国戦線・当時は大東亜共栄圏と呼ばれた東南アジアで撮影した写真を詳細な解説とともに紹介する。
掲載する200枚の写真はほとんどすべてが初公開である。
戦時下の暮らしとはどういうものだったのか。
内外の人びとは、いかに戦争に巻き込まれていったのか。
カメラマンたちはどのような使命と意図をもってシャッターを切ったのか。

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著者のことば(「おわりに」より)

 東方社の写真には、行事や各種学校、勤労動員の写真など、他社の雑誌や新聞に掲載された写真と内容的に重なり合うものもあるものの、前線の戦況を伝えるようなものはない。東方社の写真に写る軍人たちは、多少泥や油にまみれているとしても、主には内地で訓練をする軍人たちであり、東方社のカメラマンたちの任務は、彼らを格好よく、凛々しく、美しく写すことであった。それは労働者や子どもたちに対しても同じであり、東方社のカメラマンたちは、さまざまな場所で“前向きに戦争遂行に協力している”人々の真剣な態度や表情、明るい笑顔を絵になるように撮っていた。


 しかしながら本書の写真からも、アジア・太平洋戦争の中、日本で総動員体制が深まっていったことは読み取れるだろう。陸軍の各種学校で青年たちは、一人前の兵士になるべく教育・訓練され、子どもたちもさまざまな機会に、少年兵になって後に続くように方向づけられていった。一方で勤労動員も進められ、女性も学生・生徒も、国民学校高等科の児童たちも、軍需工場はじめさまざまな労働現場に駆り出された。そして、市民に課せられる防空の役目も広がっていった。国内編では第1~2章から、第3章、第4章へ進むにつれて、戦争の重圧が深まっていったことが、感じられるのではないだろうか。宣伝のための写真が主であったとしても、アジア・太平洋戦争開戦直前から敗戦までの約四年にわたって撮影されたこれらの写真からは、戦争のために日本社会がいかに変化していったか、その中で人々がどんな試練や重圧を被ったのかをうかがい知ることができよう。


 国内編もさることながら、東方社の写真の中でより興味深いのは、東南アジアや中国で撮影されたものであろう。各地の街頭スナップは、街頭という公共空間における生活風景で、生活の奥深くが知れるわけではないが、それぞれの地の人々の暮らしぶりがうかがえる。しかしそれ以上に、それら各国と日本の関係がかいまみえる写真に重要性があるのではないかと考える。長崎暢子は、「第二次世界大戦中のアジアの民族運動は、一方に抗日運動があり、他方に反英、反蘭など反西欧の民族運動があり、この二側面がセットになってい」(「東南アジアとインド国民軍」大江志乃夫ほか編『近代日本と植民地5 膨張する帝国の人流』岩波書店、一九九三年、一七二頁)て、単にファシズム対反ファシズムという構図では割り切れない複雑さをもつと指摘する。中国に関してもことは簡単ではなく、対日協力政権と重慶国民党と中国共産党の三つの勢力がせめぎ合っていた。また日本に直接・間接に支配された各地の対日協力政権と日本軍の間にも、協力と軋轢があった。その中で、日本は現地の人々とどう対峙し、どんな関係を構築し、どんな足跡を残したのか。


 本書でとりあげた東方社の写真の中には、日本国内で撮影された写真を含めて、東南アジアや中国の人々、インド人、あるいはイスラム教徒たちを写した写真が多くある。インド国民軍はよく知られているが、米比軍のフィリピン人捕虜たちが日本軍の再教育を経て警察隊に組み込まれていたことは、あまり知られていないのではないだろうか。また華北の華北綏靖軍や北京軍官学校、シンガポールの興亜学院、各地の海員養成所などについても、当時の報道や記録が少なく、現在これらの機関について知っている人は多くはないだろう。東方社がこれらの機関や各国・各地での文化工作や行事の写真を撮影していたのは、やはり対外宣伝を担う団体だったからであろう。平岡ダムの「中華民国興亜建設隊」についても、対中国宣伝ということと関係があるものと思われる。また光墨弘や別所弥八郎の写真の中には、陸軍の宣伝班や報道部に所属したカメラマンだったからこそ撮影できたと思われるものもある。さらに東方社の写真の中には、東南アジアや中国では日本に先駆けて米軍からの本格的な空襲を受け、被害を被っていたことも記録されている。


 日本と大東亜共栄圏に組み込まれた各国との間にあった関係を示す痕跡、特に広く知られないままに忘れ去られようとしている痕跡が、わずかではあれ残されていたということは、大事なことではないだろうか。またこれらの写真によって、事実は知られていても具体的なイメージが描きにくかった事柄に、具体像が付与されたことにも意味があろう。


 とはいえ写真とは厄介な資料であって、「画像単独では利用可能な資料として完結することが困難で、画像を解読する付属情報を確定していくことで、画像の利用価値が格段に大きくなる」(島津良子「写真資料の調査と資料化」全国歴史資料保存利用機関連絡協議会編『劣化する戦後写真』岩田書院、二〇〇九年、一二頁)という特性をもつ。つまり画像だけでは有用な資料とならず、撮影時期や撮影場所などの撮影時の情報、さらには148頁コラム④でとりあげた青木哲郎のアルバムのように、画像に関する言葉や語りと一体となってこそ力を発揮する。そしてその語り手は本来、写真を撮った人や被写体となった人など、その写真の当事者たる人々、あるいは当事者たちと経験や記憶を共有する当事者に近い人々であるべきであろう。


 では当事者や当事者に近い人々の言葉や語りが残されていない写真は、どうすれば有用な資料として、社会に共有され得るのか。東方社の写真については、筆者もまた見る者のひとりであり、本書は「当事者ではない第三者がその資料の価値を切り取って意味づけをし、特定の意図に基づいた文脈にのせて意味を見る側に投げつける」(金子淳「戦争資料のリアリティ」倉沢愛子ほか編『アジア・太平洋戦争6 日常生活の中の総力戦』岩波書店、二〇〇六年、三三〇頁)危うさを内包している。しかしあえてその危険を侵さなければ、この「秘蔵写真」は「秘蔵写真」のまま朽ちていってしまう。それを見過ごすことは、許されないのではないか。


 本書では、収録した各写真について、できるだけ撮影時の情報を集めることに努めたが、それには限界があり、至らないところも多い。言おうと思えば何とでも言えてしまうところに写真を扱う難しさがある。本書は見る者のひとりである筆者が写真に意味づけをし、筆者の解釈に引き寄せ、アジア・太平洋戦争の歴史の中にそれぞれの写真を埋め込んだ危険な試みであるかもしれない。しかしあえてのこの試みの意図をご理解の上、これらの写真をどのように受容していけばいいのか、ともに考えていただければ幸いである。

本書1部3章5節「在日・来日外国人と大東亜共栄圏建設」の冒頭4頁がお読みいただけます。

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本書コラム4「震天隊隊長青木哲郎のアルバム」全文がお読みいただけます。

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