神社に絵馬がありますね。
願い事を書いて吊るしておくやつです。
今だったら、あれに何を書くか。
僕の場合、当然「病気平癒」などと書くことになるでしょう。
そう思いますよね?
でもそこで一回立ち止まり、「本当の願い」とは何だろうかと考えてみます。
この世で何をしたいと思っているのか。
今生において、より積極的に獲得したいと思っているものは何なのか。
そう考えてみると、病気が直ったらそれでOKというわけではないことに気づきます。
より大切なのは、病気が治った後になにを望んでいるのか、です。
僕は何を願っているのか。
家族や友人や犬と楽しく過ごせますように。
おいしいものを食べて、自分でも料理を作って、ときには知り合いを招いて食卓を囲めますように。
出来る範囲でかまわないので、丁寧に仕事をしたいです。
数は少なくていいから、いいなと思える本を作りたいです。
ざっと思いつくのはこんな感じでしょうか。
このようなことが叶えば、僕の人生の目的はほぼ達成されたといっていいのです。
僕はあまり欲のない人間で、大金持ちになりたいわけでも、豪邸に住みたいわけでも、有名になりたいわけでもありません。
綺麗ごとのように聞こえるかもしれませんが、さっきからうんうん考えてみても、「こうなりたい」「これがやりたい」という大きな欲望が浮かんでこないのです。
そこでふと思います。
ちょっと待って、それってもう叶ってないか?
病気平癒は本当の願いの前提に過ぎないのだとすれば、僕の本当の願いは実際にはもうかなりの程度、手元にあるのかもしれません。
もちろん、日々体調が万全というわけにはいきません。
吐き気がするときも、お腹が痛むときもあります。
体力が落ちて疲れやすくもなりました。
長生きができないと考えると、沈んだ気持ちにもなります。
そういう意味では、
病気が治りますように。
長生きできますように。
というのも立派な願いではあります。
だから絵馬にはそう書いてもいいのだと思います。
でもやっぱり、「本当の願い」はその先にあって、健康も長寿も、それ自体が目的ではありません。
そしてその先にある願いは、あれ? もう手にしているような気がするのです。
堂々巡りですね。
でももし、絵馬を前に右手にペンを持って、何を書こうか考えあぐねている僕の手元を覗き込んで、「君は幸せなんだね」と話しかけてくる人がいたとするなら、僕は盛大に苦笑するでしょう。
そういわれると、素直に頷けないものがあるのもまた事実です。
僕は幸福なの? 教えておじいさんとアルムのもみの木よ。
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