top of page
  • 執筆者の写真みずき書林

「本当の願い」を絵馬に書くなら


神社に絵馬がありますね。

願い事を書いて吊るしておくやつです。


今だったら、あれに何を書くか。


僕の場合、当然「病気平癒」などと書くことになるでしょう。

そう思いますよね?


でもそこで一回立ち止まり、「本当の願い」とは何だろうかと考えてみます。

この世で何をしたいと思っているのか。

今生において、より積極的に獲得したいと思っているものは何なのか。

そう考えてみると、病気が直ったらそれでOKというわけではないことに気づきます。

より大切なのは、病気が治った後になにを望んでいるのか、です。


僕は何を願っているのか。


家族や友人や犬と楽しく過ごせますように。

おいしいものを食べて、自分でも料理を作って、ときには知り合いを招いて食卓を囲めますように。

出来る範囲でかまわないので、丁寧に仕事をしたいです。

数は少なくていいから、いいなと思える本を作りたいです。


ざっと思いつくのはこんな感じでしょうか。

このようなことが叶えば、僕の人生の目的はほぼ達成されたといっていいのです。

僕はあまり欲のない人間で、大金持ちになりたいわけでも、豪邸に住みたいわけでも、有名になりたいわけでもありません。

綺麗ごとのように聞こえるかもしれませんが、さっきからうんうん考えてみても、「こうなりたい」「これがやりたい」という大きな欲望が浮かんでこないのです。

そこでふと思います。


ちょっと待って、それってもう叶ってないか?


病気平癒は本当の願いの前提に過ぎないのだとすれば、僕の本当の願いは実際にはもうかなりの程度、手元にあるのかもしれません。


もちろん、日々体調が万全というわけにはいきません。

吐き気がするときも、お腹が痛むときもあります。

体力が落ちて疲れやすくもなりました。

長生きができないと考えると、沈んだ気持ちにもなります。


そういう意味では、

病気が治りますように。

長生きできますように。

というのも立派な願いではあります。


だから絵馬にはそう書いてもいいのだと思います。

でもやっぱり、「本当の願い」はその先にあって、健康も長寿も、それ自体が目的ではありません。

そしてその先にある願いは、あれ? もう手にしているような気がするのです。


堂々巡りですね。




でももし、絵馬を前に右手にペンを持って、何を書こうか考えあぐねている僕の手元を覗き込んで、「君は幸せなんだね」と話しかけてくる人がいたとするなら、僕は盛大に苦笑するでしょう。

そういわれると、素直に頷けないものがあるのもまた事実です。


僕は幸福なの? 教えておじいさんとアルムのもみの木よ。



最新記事

すべて表示

もう一度ちからを

ずいぶん更新が滞りました。 まだ長い文章を書く余力がありません。 ただ自宅に戻り、療養しています。 どうか見守ってください。 ふたたび仕事をしたり、みなと会ったりする力を取り戻せますように。

退院しています

昨日、退院して自宅に戻っています。 ただし体調は万全とはいかず、吐き気、お腹の張り、高熱に苦しんでいます。 せめてそのうちどれかひとつだけでも治ってくれるといいのですが。 昨日も今日も仕事を再開するなど本格的な再起動にはほど遠く、ただベッドで横になっていただけです。焦ってはいけないと言い聞かせつつ。

明日退院予定

今日退院予定でしたが、まだ病院にいます。 明日には退院予定です。 しかし体調は悪く、病状は一歩悪くなったという自覚があります。 吐き気とお腹の張りが慢性的にあり、苦しい。 点滴のほかに鼻とお腹からチューブが出ているから、見た目にもかなり痛々しいと思います。(次に僕に会う人は、引かないようにお願いします) 入院前のように普通に振る舞うことはもうできないかもしれません。長時間大きな声で喋ると吐きそうに

bottom of page