版元ドットコムにアップした『なぜ戦争をえがくのか』の情報から、「版元から一言」を掲載しておきます。
蘭先生・小倉先生・今野先生の編である『なぜ戦争体験を継承するのか』と、
大川さんの編『なぜ戦争をえがくのか』は、
ボリューム感も価格もぜんぜん違いますが、共通するテーマを追っています。
ある問題系を山にたとえるなら、同じ山頂を目指して、まったく違うルートからアタックをしているふたつのパーティみたいなものかもしれません。
いっぽうのパーティにはアカデミシャンと博物館関係者が参加していて、もう一方は芸術家・表現者のパーティです。
かれらを山頂で出会わせて対話させてみたいというのが、来年のささやかな夢のひとつです。
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戦後75年が経過し、戦争体験を持つ人が少なくなりつつあります。
そんななかで、
〈戦争の記憶をどのように継承していくか〉
が本書のテーマです。
注目したのは、さまざまな芸術で戦争をえがいている表現者たち。
この本で取材した10組13人は、それぞれの方法で、それぞれの戦争をえがいています。
たとえば、諏訪敦さんは圧倒的に精緻な筆で、旧満州で飢えと病気で亡くなった祖母を描き、武田一義さんは可愛らしくデフォルメされたタッチで、ペリリュー島の凄惨な戦いを漫画にします。
小田原のどかさんは、芸術を鑑賞するときの〈感動〉に慎重な視線を向けつつ、長崎の彫刻群に戦前と戦後の連続と断絶を見出します。
かれらはどのようにして戦争と出会ったのか。
もちろん、かれらの誰にも戦争体験はありません。
参加者のなかの最年長は、地元・青森の人びととともに演劇で戦争を表現する畑澤聖悟さんですが、それでも56歳。
過去の白黒写真のカラー化に取り組む庭田杏珠さんは最年少で、まだ19歳です。
知らないことをえがくとはどういうことなのか。
10組13人の表現はさまざまですが、同じひとりが複数の視点や方法を持っている点も注目されます。
ベトナムに拠点をおく遠藤薫さんは、織布や染料のなかに否応なく含みこまれる戦争の痕跡をみつめ、工芸と現代美術の間を軽やかに行き来しています。
ソングライターであることと作家であることをしなやかに両立させる寺尾紗穂さんは、文筆と作曲というふたつの方法で、人びとの記憶をとどめようとしています。
その表現方法はどこまで遠くへ届くのか。
そして戦争体験を持つ人が少なくなっているのは、いうまでもなくこの国だけの状況です。
世界に目を向ければ、戦争の体験はいまも新しく生まれ続けています。
小泉明郎さんはVR・AR技術を駆使して、イラク戦争のトラウマに苦しむ人々とわたしたちを一体化させます。
土門蘭さんの小説には、朝鮮戦争と、ずっと残り続ける日韓の複雑な感情が色濃く影響しています。
後藤さんは地図上の空白地帯であるサハリン/樺太でいまも暮す人びとの表情を写し続けています。
なぜ戦争をえがくのか。
いまこの国の若い表現者たちが、どのような方法で、何を想いながら歴史実践をしているか。
歴史と表現に関心のある人たちに手に取ってもらい、この本をきっかけに、記憶をめぐる新たな対話が生まれるといいなと思っています。
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