『なぜ戦争体験を継承するのか』の装丁が出来上がりました。

この本は社会学・近現代史・博物館学などが研究フィールドであり、読者対象です。
しかし内容は――拙い表現で申し訳ないですが――ある意味では文学的、だと思っています。
文学的。とは、大雑把に言ってしまえば、〈顔が見える〉ということです。
執筆者たちの、あるいは研究対象となる体験者や継承者の、ひとつひとつの博物館の、顔が見える文章が並んでいます。
「学術」「アカデミック」と耳にするときに、ごく普通の読者が思うのが「賢い人たちが」「冷静でクールに」「難しそう」なことをやっているという印象だとすれば、この本はそこからはみ出すものが実に多いと感じています。
もちろん書いている人は、学術的な訓練を受け、アカデミシャンとしての技術を持った人たちです。
誤解を恐れながら言えば――賢い、という面において――ぼくたちとは違う人たちかもしれません。
しかし、そんな彼らが、実はわれわれとまったく同じ感性を持ち、同じことに感動し、同じ疑問や危機感をもっていることが、この本を読むとよくわかります。
本来的には、学問とか研究というものは、そういう誰でもわかる素朴な感覚や疑問や危機感からスタートするべきものです。それくらいは僕でもわかります。
つまり保苅実が言ったように、「歴史は楽しくなくっちゃ」ということかもしれません。
装丁からはじまって熱く語っていますが(笑)、以上のようなことを考えていたゆえに、この本ではいかにも教科書・テキスト・研究書みたいな本にはしたくない気持ちがありました。
研究や論文ということばからはみ出すような著者たちの想いや願いを湛える器として、一昔前の重厚な小説や思想書みたいな空気感が欲しかった。
(メインタイトルの間にサブタイトルが入るのは、清岡卓行の『マロニエの花が言った』を参考にしたことは内緒です。清岡もまた、満洲ゆかりの作家でした)。
画像データではわからないですが、メインタイトルは金箔捺しになります(その点も『マロニエの花が言った』と同)。
またカバーの用紙も光沢のある紙クロスを使用予定。
実際の仕上がりはデータで見るよりもずっと重厚かつシックになるかと。
装丁は例によって宗利淳一さん。
今回はおそらくはじめて、最初の案で一発OKにしないで、全面的に作り直してもらいました。
そのぶん、シンプルかつ艶のある器になったと思っています。
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