僕が「スキルス」ということばを初めて聞いた日付は、ピンポイントで特定できる。
2019年7月28日。
そのことばは、画家・諏訪敦さんの口から発せられた。
僕は大川史織さんの本の取材で、諏訪さんのアトリエにいた。
恥ずかしながら、それまでスキルスという癌について聞いたことはなかった。
それから約2年後、僕は自分がその病気になったことを知ることになる。
諏訪さんのお父様と同じ病気だ。
いま僕は、ちょっと空いた時間があると、画集『Blue』に載っている〈father〉を眺めている。
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諏訪さんのお話をうかがってからもう少し後の、2019年9月13日。
僕たちは、漫画家・武田一義さんの仕事場にお邪魔していた。
取材する前に、『ペリリュー』はもちろん、デビュー作である『さよならタマちゃん』も読んでいた。
武田さん自身の精巣腫瘍(睾丸がん)の闘病を描いた作品だ。
正直にいうと、その頃は、壮絶かつ感動的な物語として読んだものの、若くして病に侵される恐怖や苦しさを、切実に想像することはできなかった。
武田さんにお目にかかってから、ちょうど3年になる。
昨晩、ふと『さよならタマちゃん』を再読した。
再び正直にいうと、「読まなきゃよかった。今じゃなかった……」と思うほどに、闘病の記録は読み進めるのが苦しく、恐ろしかった。でも、読むのを止めることができなかった。
武田さんが耐え抜いたこの経験に近いことを、僕もこれから体験するのかもしれない。
僕に耐えられるのか。
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さらについ先日。
土門蘭さんの連載「死ぬまで生きる日記」の第4回が公開された。
これまでは特になにも考えずに読み過ごしていたけれど、今となってはこの連載タイトルが、もうすでにヤバい。
そして第4回のタイトルは、
前半の、「自己満足リスト」の話も面白いけれど、後半からさらに加速度的に興味深い話が連発される。
とりわけ僕がへえぇぇと思ったのは、「マザーリング」のくだり。
「赤ちゃんが泣いている時、お母さんってよくこんなことを言いませんか? 『よしよし、お腹が空いたね』とか『眠たいね』とか。そのように、赤ちゃんの感情を代弁してあげること。肯定も否定もせずに、ただ言語化して寄り添うことを『マザーリング』と呼ぶんです」
「マザーリングの目的は、課題解決ではありません。感情の受容です」
僕にとってこれは、この先すごく役に立つ話になるのかもしれない。
(ちなみにこのウェブマガジン「生きのびるブックス」(ああ、このタイトルもまた……(笑))には、遠藤美幸さん(『なぜ戦争体験を継承するのか』執筆者)も連載をスタートさせている。奇縁である)
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そしていまさらながらに、『なぜ戦争をえがくのか』の巻末に掲載した「3つの質問」のことを考えている。
「3つの質問」は本書の内容に付き過ぎない、不即不離のような質問を大川さんと考えた。それを取材後に、その場で皆さんに手書きで回答してもらった。
3つのうちの最後の質問は、「どのように死にたいですか?」にした。
2019年のそのとき、死ぬことは――少なくとも僕にとっては――遠い仮定の質問だった。
コロナ禍の2020年を迎えても、〈自分が死ぬこと〉は現実味のある想像ではなかった。
しかしいま、死ぬことが、どうやっても撒けない尾行のように背中に張り付いてきた。どこにいるのかまだ見えないが、でも思ったよりも近くに、そいつはいるらしい。
「どのように死にたいですか?」
いま現在の答えは、
「いやです。死にたくないです」
ということになる。そんな質問には答えたくない。いやです。死にたくないです。
でも、そう。考えてもいいことなのかもしれない。
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『なぜ戦争をえがくのか』では、書名通り、10組のアーティストがなぜ・どのように戦争にアプローチしているかに迫った。
それぞれに個性的で唯一無二の活動をしている彼らに共通点があるとすれば、それは〈個〉にフォーカスしている点かもしれない。
諏訪さんにはお父様とお祖母さまがいて、武田さんには監修の平塚柾緒さんと戦争体験者の土田喜代一さんと倉田洋二さんとの出会いがあり、土門さんには自身のルーツに深くかかわるお母様との関係があった。
他のアーティストたちも、それぞれに〈個〉との出会いがあり、その生と死が創作の根底にあった。
いま、予想もしていなかった角度から、僕はこの本を再読してみようと考えている。
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