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執筆者の写真みずき書林

ハノイのひと。


雨の中タクシーを降りて、彼女が指定したカフェのようなただの民家のような、謎の店に入ります。

ほんとにここで合っているのかと思いながら。

するとメッセージが入ります。「道路の向かいから手を振ります」。

店の軒先に出てみると、ひっきりなしに車やバイクが通る道の向こうに、茶色い雨合羽を着た人が手を振っていました。

すごい交通量の道路をするっと渡ると、雨の中、フードを押さえながら小走りにこっちにやってきて笑ったのが、遠藤薫さんとの初対面でした。



帰国してからここ数日、取材の音声を聞き返しながら、文字起こしを行っています。

カフェで録った音に周りの騒音がかぶさっていて、すごく聞き取りづらい(とくにクラクション。ハノイの破壊的な交通事情を思い出します)。

でもなんとか半分まで来ました。


けっこう集中力が必要なので、息抜きにこれを書いています。

忘れないうちに。

現地でかなりメモや写真を撮っていますが、人の記憶は自分でも驚くほど早く消えてしまうものだから。



話の内容についてはこれから作る本に関わるので詳しくは書きませんが、遠藤薫さんを見ていると、アーティストであることが実に自然な選択だったのだと感じられます。

気負いなく、ナチュラルに表現者であるように見えます。

僕のような一般人には、芸術家になったり、自分だけの表現を見出して続けていくことは、かなり特異な生き方に思えます。表現者であることは、常人離れして強固な意志やプライドを露出させる生き方なのではないかと、ずっと思っていました。

でもこの人はとりわけ、自然体のように思えます。

「撤退戦」「不時着」ということばがひとつのキーワードになりそうですが、そこに込められた生きていくことの非直線性とでもいうべきものに、すっと身体をなじませているようです。



我々は滞在中、彼女にいろんな場所に連れていってもらい、家に泊めていただき、美味しいものを紹介していただき、すごくすごく親切にしていただきました。

エキセントリックだったり狷介だったりといったアーティストイメージからほど遠く、ホスピタリティがきわめて高く、もてなし好きで、明るくて社交的です。

(と書いてみて気づきましたが、今回話を聞いている人はみんなそうです。全員が丁寧で親切です。そのうえで自分だけの表現をもち、語るべきことをもっています。最強じゃないか)



最終日の空港。我々は帰国し、遠藤さんは山に入ります。

彼女の持ち物の中には、同行の仲間にふるまうために、前日に作ったエビ天を使った天むすが入っています。

最後に一緒にランチを食べて記念の写真を撮ったら、彼女はさっと手を振って笑い、空港の人ごみのなかに歩き去っていきました。



またどこかでお目にかかるのを楽しみにしています。



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