松本智秋さんの本
サブタイトルの「ラーハ」とはなにか。
智秋さんは「はじめに」でこんなふうに書いています。
アラビア語には、「労働」「遊ぶ」このふたつの時間に収まらない第3の時間を意味する「ラーハ」ということばがあるそうです。学ぶ、旅をする、ゆっくりお茶を飲む、家族や友人とおしゃべりする、ぼーっとする、詩を書く……そんなふうな時間。イスラムの日常生活に流れる第3の時間にぴたっとあたる日本語はなく、文化人類学者の片倉もとこさんは「ゆとり」と「くつろぎ」を足し、そこから「りくつ(理屈)」を抜いて「ゆとろぎ」という造語で表現されていました。そしてラーハは、がんばって働いたご褒美や対価として与えられる時間ではなく、人が生きるうえでもっとも大切な時間であるとされています。
文中に出てくる片倉もとこさんは、
人生のなかで一番いいものであるという、たいへん能動的、積極的な意味合いを持った言葉なのです。明るい「ゆとり」のなかで、堂々とくつろぐ幸せというようなイメージがあります。
(アラビアの人たちは)大人はもう少しゆったりと散歩をするとか、瞑想にふける、お祈りをする、人と話をするなど、「ゆとろぎ」の時間をもつべきであるというのです。
と書いています。
「堂々とくつろぐ幸せ」というのがいいですね。
仕事ではなく、その代価として自らに許す遊びの時間でもなく、ただ時間に乗って、気持ちのままに/気持ちよく過ごすという感じでしょうか。
あるいは、自分の行動や過ごし方に意味を持たせすぎない時間、という感じかもしれません。
いずれにせよ、現代の日本人には、いまひとつうまく言語化できない、でも強く惹かれることばです。
最近犬を飼い始めたのですが、この犬を見ていると、なんとなくラーハという感じがわかる気がします。
我が家の老犬は散歩が大好きなのですが、犬は目的地に向かってまっすぐ急ぐということはしません。
そもそも目的地などなく、散歩という行為そのものを堪能しています。
草むらに顔を突っ込み、そこらじゅうの匂いを嗅ぎ、気ままにマーキングをします。
あっちをうろうろして、こっちをちょろちょろします。
どこかに行きたいわけでもなく、効率よく運動したいのでもない。
ただただ、散歩の時間を楽しんでいます。
本質的に賢い犬は、ややこしい人間にはうまくことばにできない時間を、素直に過ごしています。
引綱をもって犬の後ろをゆっくり歩きながら、ああ、智秋さんもこんなふうに外国を旅してきたのかもしれないなと思います。
松本智秋も、優れた嗅覚をふんふんさせながら、あっちこっちと、動くことそのものを楽しんできたのでしょう。
いまは本作りという時間を純粋に楽しんでいるように見えます。
今回の旅の相棒である編集者・岡田林太郎とデザイナー・見元俊一郎は、引綱をゆるく持って、その後ろをついていくのです。

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