図書出版みぎわの堀郁夫くんと相談して、往復書簡なるものをしてみることにしました。
タイトルは「本を作ること、生きること」とざっくり広く取って、ひとり出版社を立ち上げたばかりの堀くんと、ひとり出版5年目で闘病中の僕が、不定期でやりとりします。
いつまでもだらだらやっているとダレるので、ひとまず全5回くらいで。
初回の往路はすでにアップされている以下の堀くんの記事として、それに応答するかたちで第1回復路を、いまから書きます。
それぞれの仕事や他のブログ記事の合間に行なうので、連載時期は不定期。必ずしも翌日に応答がアップされるとは限りません。分量も自由。
まあ、ゆる~く始めてみましょう。
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堀くんへ
「平和と愛、理解しあうことの、何がおかしいんだ?」の記事、興味深く、またありがたく拝読しました。こんなふうにぼくについて書いてくれる人は他にいないでしょう。
もう15年ほども付き合いがあるとは、驚きです。
コステロは言うまでもなく、ニック・ロウも好きなミュージシャンのひとりです(いまニック・ロウなんて聴いている人はあまりいないんだろうな)。ソングライターとしての才能はポール・マッカートニーに比肩すると思ってます。
ちなみに、別に「Alison」や「She」が特別好きなわけじゃない。
一番好きなアルバムは「Mighty like a rose」「All this usuless beauty」や「Painted from memory」あたり。
以前にも少し書いたけど、僕はおそらくはじめて、きみに嫉妬しています。
きみがひとり出版社を立ち上げることでそんな気持ちになるとは、自分でも全く予想外でした。
昨年の冬に入院していた頃はいまよりもずっと状況が悪くて、ちょっとマズい局面もありました(僕自身は病院のベッドで朦朧として寝ていただけなんだけど、妻は医師から最悪の場合もほのめかされたらしい)。
そこからかろうじて復帰したときに、すでに最後の佳境に入っていた井上祐子先生の『原爆写真を追う』は――すでに刊行時期を大幅に遅らせていて、先生にもご迷惑をおかけしていました――こんな体調ではとてもすぐには刊行できないと思いました。
この企画に限らず、仕事を整理・縮小して、会社のクロージングに向けて動かないといけないと考えざるを得ない状況でした。
そこでこの企画は堀くんにお願いすることにして、堀くんからも井上先生からも応諾をいただきました。肩の荷が降りたというか、かなりホッとしました。
堀くんはウェブサイトを立ち上げ、新刊情報をアップし、僕と同様にブログ発信も始めました。
その間、ぼくは引き続いて、やりかけの他の企画についても徐々に手を放していき、会社を閉じるための手続きを進めていきました。
そしてしばらくして、図書出版みぎわから、刊行のアナウンスが発せられたわけです。
そうすると、予想外の感情に包まれることになりました。
やっぱり『原爆写真を追う』を自分のところから刊行したかったなあという気持ちがむくむくと沸き起こり、活発に動きつつある堀くんがなんだか羨ましくてしかたがないのです。
このあたりの感情は、まあなんとなく察しが付くと思う。
きみはいままさにひとり出版社立ち上げの面白いところを体験しつつあり、そこをくぐり抜ければ、順風満帆(かどうかは知らんが)な仕事生活が待っている。もちろんいろいろ難しいことは起こるし、楽しいことばかりではないけれど、少なくとも、金銭や人脈や時間の制限のなかとはいえ、自分の意志ひとつで仕事をコントロールできる暮らしが始まりつつある。
いっぽうのぼくは、やりかけの仕事を少しずつ手離しながら、遺言状の制作なんて、1年半前は想像もしていなかった作業に着手している。
5年前、ぼくにだって、すごくどきどきして心楽しかった日々があった。いや5年前と言わず、それはつい最近まで続いているものだった。それが病を得て、あっという間に思うに任せぬことになってしまった。
村上春樹風に言うと、「そんなのってない」という感じだ。
ぼくは常にきみの少し先を歩いてきた。
年齢的に当たり前のことだけど、働き始めたのも、バイトを使うような立場になったのも、就職面接をするような役職に就いたのも、会社を辞めたのも、ひとり出版社を立ち上げたのも、ぜんぶきみより先だった。
これからもそんなふうに先輩風を吹かせながら、ああでもないこうでもないといろんな話をしながら一緒にやっていくはずだった。
これからは、ひとり出版同士というまったく対等な立場で、歩いていくはずだった。
でもそれは叶わないことになりつつある。
ぼくはもうきみの少し先を歩くことはない。それどころか、ぼくだけがこの場所に取り残されつつある。きみのほうがどんどん先に行くだろう。
もちろんぼくは無条件にそのことを祝福します。
図書出版みぎわの順調な船出と豊かな航海を祈ります。
そのためにもしぼくにできることがあれば、助力は惜しまない。
ただそこに、一抹の嫉妬のような、悔しいような、羨ましいような感情が混じるのは避けられない。
第1回から応答しづらい話題で申し訳ない(笑)。
でも正直に書くと、こんな感じです。
要するに、もっと時間が欲しかったよな、と思う。
病を得るまで、みずき書林は、楽しい盛りだったんだ。
普通に考えれば40代半ばなんて、まだ死ぬような年齢じゃない。働き盛りだ。
この5年間のぼくを、ダイジェストで見せてやりたい。
ひとり出版社なんて珍しくもない、多くの人がやっている、というのはわかる。でもこの5年間は誰が何と言おうと、ぼくにとっては実に楽しい大冒険だったんだ。
何よりも人に恵まれたよ。
この楽しい時間は、もう少し――あと20年くらい――は続くはずだったのよ。
もう終わりかと思うと、肩の力が抜ける。
一方で、最近はよく「未練」ということについても考える。
未練とは辞書的には、
「執心が残って思い切れないこと。あきらめきれないこと。また、そのさま」
ということらしい。
もっと続けたかった、と思う心は未練だ。
そう思うあまり自分を哀れんだり他者に嫉妬したりするのも、未練のなせるわざだろう。
死にたくない、というのも未練だ。
ぼくはできることなら、そのようにありたくないと思う。
でも修行が足りないから、つい未練なことを思う。
「本を作ること、生きること」というのはきみが付けたタイトルだけど、ぼくにとってはちょっと酷な題だ。「もう本を作れないこと、死に向かうこと」というほうがしっくりくる。
さて以上、きみのテキストへの応答として書いてみました。
往復書簡の妙味は連歌に通じるというか、不即不離のトピックをどう捻り出すかにかかっていると思うのだけど、きみがどんな返信をくれるか楽しみです。
なおBGMはコステロの「Mighty like a rose」。
「Could'nt call it unexpected No.4」は名曲だ。かつて池袋だかどこだかでコステロのライブがあったとき、最後にマイクを通さずにこの曲をアカペラで歌ったのが忘れられない。後ろのほうの席だったのにはっきり聞こえた。
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