東京藝大で開催中の「WELCOME STRANGER TO THIS PLACE」へ。
遠藤薫さんの〈閃光と落下傘〉を見るためです。
まず1階の展示室に入ると、真正面に大画面の映像作品。
藤井光さんという方の〈核と物〉という作品で、東日本大震災以降の文化財レスキューや博物館のあり方について、10人ほどのキュレーターや研究者がディベートするドキュメンタリー。
あれ。どこかで見た方が映っているな……?
と思ったら、なんと市田真理先生です。
10人ほどの登壇者のなかで、市田先生が喋っています。
第五福竜丸展示館の学芸員で、『なぜ戦争体験を継承するのか』の執筆者のひとりでもあります。
かつてこの本のプロジェクトが動き始めたばかりのころ、上智大学の蘭先生の研究室でお目にかかったのが初対面でした。
こんなところで、見知らぬ人の作品の中で、知り合いの先生に出会うとは。
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不思議な気持ちで2階に上がると、これもまた真正面に、巨大でカラフルな布製の落下傘。
青森での展示風景をネットの画面では見ていましたが、実物は予想以上の大きさです。
「不時着」ということばと分かちがたく結びついているパラシュートは、ぼくにとっては遠藤薫という作家のキーアイテムなのですが、この落下傘には、遠藤さんの持つ技術である織布と、さらに花火と、3重のイメージが重ねられています。
ぱっと見は美しく大きな花火のようで、近づくと織り合せられた色とりどりの布の集まりで、周辺の映像作品や山下清の複製画を見た後でもう一度眺めると、なにか禍々しい気配も感じられます。
禍々しい、というのは、落下傘という物体が戦争や逃避を想起させるのは言うまでもなく、徴兵を逃れるために放浪をはじめたとされる山下清の複製画や、雪中行軍の事故で知られる八甲田山で撮られた、あるいは東京大空襲の舞台となった下町で撮影された映像は、戦争や死の歴史をイメージさせるからです。
詳しくは書きませんが、他にも、大林宣彦、太宰治、寺山修司などが召喚され、落下傘には実にたくさんのイメージが織り込まれています。
そのような二重写し、トリプル・イメージ、複数の思考の破片をつぎはぎしていく拡散性は、〈閃光と落下傘〉という命名にも表れているようです。〈花火と落下傘〉みたいなわかりやすい二項対立ではありません。
落下傘を形作る大量の布は、日本中から集めた古着・古布だとのことです。
遠藤さんはそれを、過去に生きていた多くの人びとの生の痕跡であり、〈第二の皮膚〉と表現しています。
(そのことばから、この作品の対極にあるものとして、絶滅収容所の看守の妻が持っていたという、伝説的に悪名高い例のランプシェードのことも頭をよぎりました)
3月10日の下町の河川敷で、人びとの〈第二の皮膚〉で出来た花火を開かせようと、遠藤さんは風に大きく膨らむ落下傘をひっぱって走ります。
そして強風にあおられて、何度も何度も転がり、草だらけになって、倒れます。
それは力いっぱいの鎮魂行為であると同時に、河原に不時着してきた遠藤さんが急いでどこかに隠れようとしているんだけど、背負っているものが絡みついてきてうまく逃げられない。というふうにも見えるのでした。
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第五福竜丸は、ビキニで被爆してすぐに保存・展示が決まったわけではありません。
市田先生によると、被爆後も練習船として10年も使われ、老朽化して解体業者に払い下げられ、夢の島のゴミの中で放置されていたところを、有志によって救い出されたということです。
そして長年の市民運動が実って、展示室が作られ、保存されることになったといいます。それも最初から「展示館を作ろう」と運動したわけではなく、運動の流れのなかで、結果としてそういう形になったというだけです。
つまり――すでに第五福竜丸展示館という施設を自明のものとしている我々には想像しにくいことですが――船は歴史的に価値のある遺産として見られていたわけではなく、もともとは使い古され、廃棄されるはずだったものです。
この船もまた、古布を継ぎ接ぎした遠藤さんの落下傘と同じように、偶然とつながりの果てに、不時着した結果としてそこにあるわけです。
それにしても。
この展覧会はそのタイトルのとおり、別に戦争や近現代史に焦点化した企画ではありません。
にもかかわらず、最近刊行した2冊の本の執筆者が、たまたま上野の博物館で同居しているとは……。
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