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  • 執筆者の写真みずき書林

1954/3/1


ある日、Google の検索画面に「核 環境 開発」「スタディーツアー」と加えて、エンターキーを押した。(中略)

「世界」を自分の肌で感じてみたい。その想いが沸点に達していた。

数秒後に出てきた画面をスクロールすると、「マーシャル諸島スタディーツアー」が目に飛び込んできた。

「核 環境 開発」すべてのワードを集約している国があるんだ、ということにまず驚いた。(中略)

地図を見ると、グアムよりもはるか南東、日付変更線と赤道にほど近いところに、マーシャル諸島はあった。

ビキニ環礁、第五福竜丸、ゴジラの向こう側に、ビキニを含むマーシャル諸島が日本と呼ばれていた時代があったこと。そこで暮らす被ばく者の中には、日本語を話せる人もいるということに想像が及ばなかった。

(大川史織『わたしの〈タリナイ〉』)


***


マーシャル諸島で実施された米核実験の総数は六七回におよび、同実験の総威力は、広島型原爆の七〇〇〇倍に達した。六七回の中でも一九五四年三月一日にビキニ環礁で実施された核実験、暗号名「ブラボー」は、日本さらには世界に衝撃を与え、「ビキニ事件」や「第五福竜丸事件」などという名で記憶されている。

マーシャル諸島の現地では、水爆「ブラボー」が爆発した三月一日は、核被害を思い起こし追悼するための国の公休日に指定され、“Nuclear Victims Remembrance Day” あるいは “Nuclear Victims and Survivorʼs Remembrance Day” と呼ばれている。水爆「ブラボー」実験だけでなく六七回におよんだすべての核実験を思い起こす日となっている。

(竹峰誠一郎『マーシャル諸島の民からみつめる戦争・核・環境』)


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日本の大衆にとって、津波に起因する福島の核危機は、過去の原子力の悪夢─戦時中の原爆投下だけでなく、はからずも死の灰を浴びた日本のマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員

が被爆したビキニ環礁における一九五四年の水素爆弾「ブラボー」実験の記憶をも呼び覚ますものであった。

(グレッグ・ドボルザーク『誰が海を閉じたのか?』)



以上の引用はすべて、小社刊行『マーシャル、父の戦場』より。


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