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  • 執筆者の写真みずき書林

留学計画

堀田善衛は『定家明月記私抄』の冒頭を、 「『明月記』をはじめて手にしたのは、まだ戦時中のことであった。言うまでもなく、いつあの召集令状なるものが来て戦場へ引っ張り出されるかわからぬ不安の日々に、歌人藤原定家の日記である『明月記』中に、 世上乱逆追討耳ニ満ツト雖モ、之ヲ注セズ、紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ という一文があることを知り、愕然としたことに端を発していた」 と書き始めています。 「精神の運動」という言葉を好んで用いた石川淳は、戦争中は静かで個人的な抵抗の証として江戸の戯作や古典を読み漁り、「戦時中は江戸に留学していた」と嘯きました。 今年に入って取材した作家は、「個人が抗いようのない巨大なシステム」のメタファーとして、戦争を取り上げたと言っていました。 戦争や疫病という現実的な問題にどのように向き合うか。 いまは戦時中ではありませんが、つまり抗いがたいシステムや否応なく押し寄せる災いを、個人としてどのように受け止めるか。 いまこそ、作家たちのことばとメタファーに学ぶべきことは非常に多いと思います。 この数日は、ネットの情報収集やSNSに割く時間を最小限に留めました。 そして密かに〈留学〉計画を練っていました。 空間的な移動はできなくなりました。 それこそ、空間的な距離はおよそ考えうる限り、最低限度まで縮小せざるをえません。 オーケー。いいでしょう。 少なくともあと数カ月は、こういう日々が続くと腹を括りましょう。 僕は腹を括りました。 でもそれは、時間的な移動を妨げるものではないし、想像力を妨げるものではない。 世界はときに、抗うことのできないシステムや波動となって襲ってきます。 75年前の戦。NYに旅客機が突っ込んだ日。阪神淡路大震災と地下鉄サリンの、東日本大震災の、コロナ禍の、春。 現実的な問題にはできる範囲で対処しようと思います。自分にできることはするし、すべきでないことはしない。 そのうえで、真剣にはなるが深刻にはならないように。 ここはひとつ石川淳の顰に倣って、飄々と気ままに留学に出たいものです。 小説、映画、音楽、ゲーム、料理、もちろん仕事。 留学先はたくさんあります。 吉行淳之介に「角の煙草屋までの旅」というエッセイがあったはずです。 外国に行くのも角の煙草屋まで行くのも、旅という意味では一緒だろう、という趣旨の、吉行らしい文章だった……と思います。

いま本棚を探したけど見つからず、そのかわり「気に入らぬ風もあろうに柳かな」という題のエッセイを見つけました。 「爆発寸前になることが、ときどき起る。そういうときに、この言葉をおもいだすことにしている」とのこと。 ふむ。これはこれで見つけてよかったというべきか。

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