top of page
  • 執筆者の写真みずき書林

『櫛野展正のアウトサイド・ジャパン展』(上)

すでに会期終了していますが、ちょっと前に、アウトサイダー・アートの大規模な展覧会『櫛野展正のアウトサイド・ジャパン展』を観てきました。



アウトサイダーアートとは何か。

通常は、美術の教育を受けていない人々の創作のことを指すようですが、観終わった後では、なかなか簡単に定義はできません。

ここしばらく考えてみましたが、定義するのはあきらめました。

何が普通のアートで、何がアウトサイダーのアートなのかを分けるのは、簡単そうに見えて、実はかなり難しい。


ただ、みんな好きなことをして生きています。

なかには、好きとか嫌いとかいう感情以前に、やむにやまれず作っている、という人もいます。まさに生き生きと活動している人もいれば、自分の心のかたちを手探りするように、黙々と何かを作り続けている人もいます。

そういう意味では、より正確にいえば、みんな心のままに生きているな、と言うほうがふさわしいかもしれません。


有名になろうとか売ろうとか思っている人はほぼ皆無で、誰かに見せたいとすら思っていない人もたくさんいます。

その姿勢は、たしかにアウトサイダーかもしれません。


たとえばコレ、「ちりめんジャコメッティ」という作品(場内はほとんど撮影可)。


全身にちりめんじゃこを張り付けた、等身大のジャコメッティ的マネキン。

たとえば親戚の家に遊びに行って、押し入れからこれが出てきたら、絶叫して逃げます(という形容はディスっているわけではありません。アウトサイドだろうがインサイドだろうが、こちらの常識や美意識を問答無用で蹴り上げて、ありとあらゆる感情を揺さぶってくるのが美術というものです)。


こういった昆虫や動物の死骸で制作された作品がけっこうあります。そのなかに置かれたときに、食品としてのちりめんじゃこもまた、ひとつひとつの命であり、我々はその死骸を日々大量に食べていると気づくのだ。

などというちょっと批評っぽいことは、(もちろん考えたっていいわけですが)おそらく有効な鑑賞法ではありません。

そんなふうにひとつずつに意味や批評を与えようとすると、たぶんあっという間に脳がパンクします。


ただのダジャレ。思いついたから、作ってみた。

しかし思いついたからといって、普通はそんなものを実作しません。

でもこの人たちは、それを作る。膨大な労力を払って。


ただ作りたいから。

それをそこにあらしめたいから。


推測するしかないのですが、ちりめんジャコメッティを作っているときに、制作者はちりめんジャコメッティのことしか考えていません。

そしてちりめんジャコメッティを作り終わったときに、それを前に何を思うのかは、僕の推測の能力を超えることです。

最新記事

すべて表示

引き続き倦怠感

またしばらく更新が滞りました。 この数日、倦怠感があったり、急に明け方に高熱が出たり、ちょっとだけ参ってました。 本当はこういうときこそブログや日記を書くべきなのかもしれません。 体調がよくて比較的平穏に過ごせているときだけでなく、ちょっと具体が悪いときほど、書き残しておくべきなのだと思います。 しかし頭ではそう思っていても、実際に具合が悪いと、なかなか思ったように書けません。 そういうときは時間

倦怠感が少し

昨日今日くらい、なんだか倦怠感が強く身体がうまく動かない感じ。 ここのところずっと点滴していたステロイドを半量に減らしたので、その影響もあるのだろうか。 身体に力が入らず、集中力に欠ける状態が続いていて、少しつらい。 まあ、こんな日もあるということで、できる範囲・できる時間で仕事をしていくしかない。 スピッツの新譜を聴きながら仕事。 あいかわらずのグッドメロディ。学生の頃から聞いてきた音楽。 なん

19日、20日の日記

5月19日(金) 昨日は実に眼福なものを拝見する。 公開してもいいものかどうかわからないのでここに詳しいことを書くことはできず、思わせぶりな書き方になってしまいけれど、本当に恐縮かつ光栄なことでした。 ごくごく身内にだけ見せて、感涙に咽んだのでした。 5月20日(土) 午後からイベント3連発。 13時から第4回聖書読書会。 マタイによる福音書。今日読んだ最後の節が、イエスがガダラの人を癒すというく

bottom of page