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  • 執筆者の写真みずき書林

『諏訪敦 眼窩裏の火事』を鑑賞

12月23日(金)

府中市美術館『諏訪敦 眼窩裏の火事』展を観に行きました。

同行者は荻田泰永さん、大川史織さん、井上奈奈さん、見元俊一郎さん、井上陽子さん、妻、そして三上喜孝先生。

予想もしていなかったことですが、諏訪さん本人がほぼ全作品について、つきっきりで解説してくださりながら会場を巡るという、おそろしく贅沢な格好になったのでした。

以下、「作家本人が脇に寄り添っての解説を聴きながら」「癌患者が」作品鑑賞をした雑感です。


第1章 棄民

念願の、というべき、《棄民》シリーズ、とりわけ《HARBIN 1945 WINTER》を実見することができました。遠く高い位置に、《棄民》の母子像が目に映ります。

展示室には、強烈な死の雰囲気がたちこめていました。

数年前に刊行した『なぜ戦争をえがくのか』の編集において、大川さんが諏訪敦さんに取材したいと願い、すべての始まりのきっかけになったのが、《棄民》シリーズでした。

大小さまざまな画が集まっており、これまで図録や画像で見ていたのとはまるで違う、圧倒されるようなスケール感。

この《HARBIN 1945 WINTER》の1枚の下には、健康的な女性が徐々に病魔に蝕まれていくプロセスが塗りこめられています。

僕はがん患者特有の、全身の筋肉を削いだような痩せ方をしている自分の身体を思います。


個人的には《father》を観ることができたことにも深い感慨がありました。

いつのまにか、僕にとって特別な意味を持つことになった、スキルス胃がんで亡くなった諏訪さんのお父様を描いた一枚。

病臥する父親と、チフスで朽ち衰えた祖母の顔がよく似ていることを、諏訪さん自身の解説で知ります。なるほど、たしかに似ていてハッとさせられました。

「あの世とこの世をまたいで仰臥する身体を描く画家」の真骨頂というべきでしょうか。


そのほか、西洋の王侯貴族の肖像画を反転させて描かれた《棄民》のインパクトも強烈でした。

これもまた、画集で見るのとはまるで異なる大きさ。そして画を掲げる高さも重要であったことが、画家本人の口から語られました。

一見グロテスクな外観を持つ作品ですが、僕が観た翌日に同館を訪れた母は、この画を前にして泣けたと言っていました。


第2章 静物画について

一般的に、絵画展の展示は壁に画が並べられることが多いと思います。

この部屋では、まるで博物館のように、壁はもちろん、空間の中央部にも画が飾られます。

照明も特殊な技術と工夫を凝らしたものとのことで、絵自体が後ろから発光しているような感覚になります。

*

たとえば《柿図》一枚をとりあげて僕のような絵のド素人・門外漢が観ても、画家の圧倒的な技量がひしひしとわかります。

もともと絵画の門外漢のなかでも、とりわけ静物画というものの魅力がよくわからないことを告白しますが、それでもなお、至近距離でこの絵画群を観れば、すさまじい技術と集中力が結集していることが了解されます。その集中力の行きついた果てに「眼窩裏の火事」が燃えているかのようです。


そしてそのような高度な技術と集中の結実の中でもとりわけ面白かったのが《まるさんかくしかく》でした。

「江戸時代の禅僧・仙厓義梵の禅画《○△□》を翻案した作品です。墨線で三つの図形を描いた元の画は、悟りにいたる修行の段階を表わしたとも、世界の万物を表わしたものとも、いわれています。諏訪は、○をガラス器の口縁に、△を筍の側面観に、□を豆腐に置き換えました。(館内配布の作品一覧より)」

この画は、全ピント、つまり背景も含めてすべての場所に焦点が合っているとのこと。

これは本来、人間の眼ではありえないことです。

ただ、高度な修行を経た禅僧にとっては、すべての物事はフラットに目に映るようになるのだといいます。大きな石も小さな石も区別なく、ただそこにあるものとして見えてくる。それはすべてに焦点が当たっている状態と等しい。

修業を積んだ僧侶の脳波をとると、たとえば同じ映画を何度観ても同じレベルで何度でもくりかえし感動するという話を聞いたこともあります。

いかにも諏訪敦という思索型の作家らしいことだと思うのですが、ガラス器と豆腐と筍を描いた一枚の静物画のなかにそのような思想や思考を入れ込むことができるのかと、新たな発見でした。


そして諏訪さんの静物画を観たことの効能は、展示室を出てからその真髄を発揮するようです。

すなわち、目に映るすべてのものが絵画に見えてくるのです。

揺らぐ光や湛えられた水を含んだなにげない景色が、すべて諏訪さんの画のように見えてきて、いま見ているものが現実なのか画なのかよくわからなくなります。

「見るとはなにか」「描くとはどういう行為か」を追究し続ける画家の画は、日常の見方すら変えてしまうようです。


第3章 わたしたちはふたたびであう

大川史織さんの粋なサプライズで、僕はこの展示室のなかで、国立歴史民俗博物館の三上先生と再会することになりました。

大川さんの知らせを受けた近くにお住いの三上先生が駆けつけてくださったのです。

わたしたちはふたたびであう。呆然として、三上先生の姿を思わず数秒間見つめてしまいました。

*

第1章と並んで一般に知られる諏訪さんの画業であろう肖像画群。ここにも大野一雄、山本美香をはじめ、若くして亡くなった医学生、途中で亡くなってしまう依頼主など、死の匂いが立ちこめています。しかしここでは「描き続ける限り、その人が立ち去ることはない」とも述べられています。

……僕はどうやらそれほど長生きはしないようです。いまどんなに調子よく暮らしていて、美術館の通路を何でもない顔をして歩いているとしても、もう間もなく、この世から立ち去ることになるでしょう。

その後どこに行くことになるのか、まったくわかりません。

ただ、いまの僕の考えでは「人は思い出の中に生き続ける」と考えています。

この夏に、僕たちは共通の友人である松本智秋さんという方を見送りました。でも思い出話をするたびに、彼女は立ち去っていないと実感されるのです。こういうところで名前を出して触れるたびに、彼女はそばに来て笑うのです。

同様に、僕がいなくなったあとも、もし皆が会話の端に触れてもらえるなら、ひとりで静かに思い出してもらえるなら、そのときには僕もその人たちのそばにいるでしょう。

僕はまもなく死ぬのでしょうが、思い出として立ち去りはしないのでしょう。

諏訪さんがここで描こうとしたコンセプトとは少し違うのかもしれませんが、作品を観ながらそのようなことを考えました。


その意味で、《山本美香(五十歳代の佐藤和孝)》は僕にとって象徴的で、興味深い画でした。

この作品は山本美香さんの肖像画ですが、よくよく見ると、その瞳の中に長年のパートナーであった佐藤和孝さんが描き込まれています。(五十歳代の佐藤和孝)は山本美香さんの瞳のなかにいるのです。そしておそらくは佐藤和孝さんも、山本さんを見ているのでしょう。

ユーモラスであり、同時に死者と生者の関係を考える際に、とても示唆に満ちた作品のようにも思えたのです。

我々のほとんどは、諏訪さんのように描く技量を持っていません。

でも、瞳のなかに写し続ける限り、その人が立ち去ることはないのかもしれません。



*



以上が、「作家本人が脇に寄り添っての解説を聴きながら」「癌患者が」作品鑑賞をしたときに思ったことをほとんど推敲もしないでラフに書いたままアップしたテキストです。

感激に比例して、久し振りに長い文章になりました。


諏訪敦さん、前述の同行の皆さま、ほんとうにありがとうございました。こんな贅沢な時間を過ごすことはもう二度とないでしょう。



※撮影には許可を得ています。

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