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  • 執筆者の写真みずき書林

キャメラを震わせながら駆けていけ

大林恭子さんのメッセージが公開されています。 ファンにとっては、冒頭の一文からもうダメです。 涙腺がゆるんでまともに読めません。 ここに名前が挙がっている後輩の映画監督たち、どんなに誇らしいことでしょう。 個人的には、天国村で会っている人たちの中に高畑勲監督がいることも喜びでした。 このブログを覗いてくれている人の多くはすでにご存じのことと思いますが、高畑監督は僕の母方の祖母の弟で、大叔父にあたります。 高畑監督が亡くなったのもちょうどこの時期だったな……と思って調べてみたら、18年の4月5日。わずか1週間違いでしたね。 『マーシャル、父の戦場』の巻頭インタビューのためにお目にかかったのは18年の5月8日。 編者の大川史織さん、執筆者のひとりである三上喜孝先生と3人で成城のマンションにうかがい、4時間にわたってお話をうかがいました。 高畑監督のこともたくさんお話しくださいました。 そのときのお話で書籍になっているのは、本当に一握りです。 残りの膨大な語りは公開されることはなく、われわれ3人だけの宝物であり続けています。 10日に大林監督が亡くなり、小社が2周年を迎えた13日の夜、この膨大な文字起こしを組版ソフトに流して、レイアウトを付けました。 A5判2段組みで55頁。 編集していないので、監督の語りがそのまま文字になっています。 読んでいると、大林宣彦が語りはじめます。われわれ3人だけのために。 なんと贅沢なことでしょう。 このテキストは公開できないのですが、以下は、それを元にして本に収録したテキストから。 今回再読してみて、妙に印象に残った部分でした。 「名もなき人。勉さんもそうです。偉い人です。この人の動作はどうやら僕よりも美しい。この人の知性と見識と責任感が、そうさせるのでしょう。 それを信じてキャメラを震わせながら駆けていく大川さんの姿も、僕には見えました」 なぜ印象に残ったかと自己分析すると、いまのこの世界で監督が亡くなったという状況が影響しているのは間違いなさそうです。 「会えない」「見えない」ものを、それでも「見えました」という大林監督。 帯に引用した「できるだけ想像力を働かせて」とも通じるものがあります。

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倦怠感が少し

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19日、20日の日記

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