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  • 執筆者の写真みずき書林

前田啓介『辻政信の真実』――正義 or 悪。ではなく。

前田啓介『辻政信の真実――失踪60年――伝説の作戦参謀の謎を追う』(小学館新書)読了。


日本陸軍において、謎に包まれた波乱の生涯という意味では甘粕正彦に、徹底した悪評という意味では牟田口廉也に比肩するであろう、辻政信。


本書はタイトルのとおり、謎と悪評という辻の二大属性のうち、「謎」にフォーカスした本です。

つまり、謎を解きほぐすために、「真実」を丁寧に拾っていこうとしている本です。


新書とはいえ400頁を超えるボリュームがありますが、著者が新聞記者だからか、難解さのない文章で、どんどん読み進めることができます。


*


かの半藤一利が「絶対悪」と言い切り、独断専行する陸軍・横暴な現地軍の象徴とされる辻政信。


著者はそのような辻に対して一切の評価をせず、淡々とかつ綿密に、辻の実態を取材していきます。

先入観も可能な限り廃して、自らは価値判断をしない書きぶりは、もし半藤一利さんが生きていたら眉をひそめたかもしれません。

しかし81年生まれの著者が書いたものとして、ほぼ同世代の僕としては実に共感できるものでした。

戦時期の軍人を描いた従来の著作は、著者自身の何らかの価値判断を含むものがほとんどで、われわれ下の世代は、それを読んでひとつの定点を得たり、自分の評価を補強するような読み方をしてきた気がします。つまり、ある人物に対する、あるいはあの戦争に対する、ひとつの解答を得るような読み方をしてきたように思えます。


しかしこの本では、そういう書き方はされておらず、われわれは自分の考えを補強するような読み方はできません。むしろ、一度あらためて辻政信について、自分で考えてみることを促してきます。

こういう毀誉褒貶激しい人物の評伝を読むとき、われわれは無意識に「著者はどういう価値判断をしているのだろう」と見透かそうとするような読み方をしてしまうものです。著者はあの戦争についてどういうスタンスに立っているのか。果たして著者は「あっち側」なのか、「こっち側」なのか。

しかし読み進めていくうちに、そういう読み方では不十分なことに気づきます。

重要なのは著者がどう考えているかではなく、「自分自身がどう考えるか」です。

本書は与えられる解答ではなく、自分で考えるための手引きのようなものかもしれません。

実際、著者自身も「おわりに」で、


「結局、辻政信という人間が何者であったのか、最後までつかみきることができなかった」


「どこか一面を切り取って辻の人物像を断ずることはまったく難しいことではない。ただ、どうしてもそれはできなかった」


と書いています。またその直後に、


「戦場における立場だけではなく、戦後の環境もまた、戦争の語りに影響を与えている。その割り切れなさを念頭に置きつつ、戦争について考え続けるべきだと思う」


とも書いています。

「考え続ける」という箇所が、とりわけ「続ける」という部分が、重要なのだと感じます。


*


このように、著者自身は辻政信本人に対しては価値判断をしていませんが、通読して感じるのは、辻を知る家族や関係者への敬意とシンパシーです。

はっきりそうとは書いていませんが、取材を重ねて辻を知る人たちと会っていくうちに、彼ら彼女たちに寄り添い、その思いを理解するようになっていくのがわかります。


「絶対悪」の取材をするなかで、その「絶対悪」を愛し、敬慕していた人たちがたくさんいることを知っていき、著者自身の先入観が揺れていったのではないでしょうか。


政治史的・軍事史的にみれば断罪されざるを得ない側面をもった人物ではあるのでしょう。

しかしひとりの人間として見れば、儚く哀しく、ある種の敬意を払うに値する人物でもあったのかもしれません。われわれ同様に。

そういうナイーブな眼差しで戦争の歴史を見てもいいのか、という批判はあると思います。でも僕としては、どうしてもそういう見方をしてしまいます。


個人的には、「正義」という言葉は、自分に対しては使わないようにしている言葉のうちのひとつです。

であるなら、それの対義語である「悪」も、簡単に誰かにあてはめないほうがいいということになります。


こういう言い方はもしかしたらシニカルに聞こえすぎるかもしれませんが、所詮われわれは人間です。出会ってしまった人びとへの敬愛とシンパシーを抱きつつ、過去の出来事や人物を善/悪、正/邪で論じることの「割り切れなさ」を、小声でささやき続けるくらいが、まっとうなあり方なのかもしれません。

少なくとも僕としては、そういう姿勢のほうが、自分の正義や他人の悪を声高に叫ぶ人よりも共感するものがあり、だからこそ、淡々と丁寧に人に会っていくことで成り立っているこの本の姿勢には、教わることが多くありました。

まさか辻政信の評伝を読んでそんなことを考えることになろうとは思いませんでしたが。







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