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  • 執筆者の写真みずき書林

戯曲×『母と暮せば』×映画


『母と暮せば』という作品にはいくつかのバリエーションがあります。



・映画版(監督:山田洋次/脚本:山田洋次・平松恵美子、2015年)

・小説版(著:山田洋次・井上麻矢、2015年)

・舞台版(作:畑澤聖悟、2018年10月初演)



このうち、小説版は映画版とほとんど同じ内容です。

奥付日は2015年12月で、映画公開日とほぼ同じ。

共作者は違いますし、山田洋次がどういうふうにふたつを進行させたのかはわかりませんが、小説は映画の忠実なノベライズ、もしくは映画は小説の忠実なシネマタイズと考えてほぼ問題ないでしょう。



ただし、畑澤聖悟による舞台版はまったく違います。

YouTubeで見られる舞台挨拶や公開時期から判断するに、舞台化する際には、すでに映画(≒小説)は存在していました。

舞台を作る際には、山田洋次監督、吉永小百合と二宮和也主演という、全方位的に話題に事欠かない映画はすでに一定の評価とともにあったわけです。



にもかかわらず、舞台版はこの映画版と異なります。

初期設定だけ揃えて、台本の冒頭1/4くらいは映画版をなぞるように進みます。

しかしそれ以降、登場人物はぜんぜん違うオリジナルな対話をはじめます。

そしてそのままラストまで変わっていきます。



映画を観てから戯曲を読むと、その変化がすごく興味深いのです。

映画と舞台という表現方法の差ももちろんあるでしょう。

でもそれ以上に、作家性の違いを感じます。

作家性の違いとは、満洲からの引揚げ経験を持つ山田洋次(88)と戦後生まれの畑澤聖吾(56)の世代の差であったりもするのかもしれません。



僕は舞台演劇はまったく詳しくないですが(それをいったら映画にもまるで知識がない人間ですが)、舞台がなぜこのように、映画という〈原典〉からずれていったのかを考えてみるのは、なかなか面白いことでした。



その妄想を逞しくする前に、実は『母と暮せば』という作品群にはさらに〈原典〉があります。

井上ひさしの『父と暮せば』という作品です。

こちらは戯曲が先に作られ(1994年初演)、それが映画化される(2004年)という流れになります。宮沢りえと原田芳雄主演の映画をご覧になった方も多いと思います。


長崎で死んだ息子が亡霊となって母のもとに現れるという『母と暮せば』の構造は、広島で生き残った娘のもとに亡霊として父が出てくるという『父と暮せば』を逆転させたものです。

『父と暮せば』は戯曲が先で、それを忠実になぞる形で映画化が行われています。

そういう意味でも『母と暮せば』は、その構造を逆転させつつなぞっています。


『父と暮せば』の映画化に際して変化した部分は、父娘のふたり芝居だったのが、映画では他のキャストが出てくることと、図書館など家の外も描かれることです。

これは映画化である以上当然の改変ですが、〈原典〉である『父と暮せば』の戯曲と映画のこのような関係を考えれば、舞台版『母と暮せば』が息子の婚約者すら登場させず、屋内だけのふたり芝居に〈本家帰り〉しているのは必然というべきでしょう。



以上、『母と暮せば』プロジェクトが、井上ひさし『父と暮せば』の舞台と映画の達成を構造的なロールモデルとしていたことを確認するなら、舞台における改変がそこから大幅に逸脱していることも際立ってきます。

(ところで戯曲『母と暮せば』の作者は畑澤聖悟ですが、「原案:井上ひさし/監修:山田洋次」というクレジットが加わっています。こういう人々が具体的にどのような影響を及ぼしたのかは不明ですが、いずれにせよ日本演劇・映画の神々に近い人びとを背負った仕事であったことは如実にうかがわれます)



以下、なるべく書かないようにしつつも、やはり『父と暮せば』であれ『母と暮せば』であれ、舞台であれ映画であれ、ネタバレを大幅に含みます。

またこの文章は、畑澤聖悟氏本人の発言を除き、ネット上のレビューや評論はいっさい読まないで書いています。



さて。

戯曲版の最大の改変箇所(でありいきなり最大のネタバレ箇所でもありますが)は、原作である映画版ではラストで死ぬ伸子が、死なずに生きることです。

それに付随して、伸子が助産婦の仕事を休んでいるという設定も加わっています。

このふたつの改変はとても重要です。



正直に書くと、映画版を観ながら、ぼくは何度も泣きました。

ひとりで観ていたし、いつ次の泣く場面が来るかわかったものではないので、途中からはぽろぽろこぼれる涙も拭かずに、小汚い顔のまま観ました。

そしてラストシーンで、その泣き顔は微妙に硬直することになりました。

伸子と浩二は手に手を取り合って、天へと召されていきます(彼らはクリスチャンという設定です)。

霊となって教会で行われた伸子自身の葬式を見届けた後、ふたりは列席の人びとの間を抜けて、光り輝くドアの向こうに消えていきます。

そしてエンドロールに重ねて、トーガのような白い服を着て神々しい光に包まれた無数の聖歌隊が現れて歌を歌うのです。光差す雲間からは、長崎平和公園の平和祈念像も見えています。

基本的に暗く落ち着いたトーンの映画は一転、異様に光り輝く祝福とともに終わるのです。

僕はいささか茫然としました。

そして不意に、これが山田洋次監督作品であることを思いだしました。

伸子は死ぬことで浩二と一緒になり、ふたりは天国でずっと幸せに暮らします。

大事なのはおそらく、伸子が生きているか死んでいるかではなく、家族と一緒になって幸福になるかどうかなのです。

伸子はあの世で息子と再会して幸せになり、原爆病で亡くなったにもかかわらず、ハッピーエンドを迎えます。

そういう意味では、実に実に山田洋次らしい作品と言えるかもしれません。

これは――正しく山田洋次の世界である――家族の再生の物語なのだと思います。


そして、少なくとも僕にとっては、一抹の違和感が残りました。

母と息子が一緒になって幸せになったのに、なにが不満なのでしょうか。


さっと書いてしまうと、これは一種の心中ものなのではないでしょうか。

おそらく伸子にとって、死んだ息子である浩二は、「死の願望」「自分が死ぬ理由」になっています。ひとりで生きているよりも死んで浩二の元に行きたい。あのときの長崎には――身も蓋もない言い方をすれば――「死んだほうがまし」という状況がありふれたものとしてあって、母はそれを願い、叶えてしまう。自分よりも先に死んだ息子に呼ばれるかたちで。

それはほんとうに悲しむべきことで、ハッピーエンドにはなりようがない。

何としても親子を一緒にさせてあげたかった、という山田洋次監督の気持ちからこの作品の終わり方を肯定することも可能かもしれません。しかし長崎や広島の戦後にはおそらくこういうかたちでの「疑似的な心中」「自らの死の受け入れ」が、それこそ無数にあったはずです。そのことを考えるときに、そういうあまりにもかなしい命の完結を、お互いを見つめて微笑み合う吉永小百合とニノの笑顔に溶かし込んで肯定するのは、かなり困難といわざるをえません。



ひるがえって、戯曲版『母と暮せば』です。

前述のとおり、冒頭の1/4くらいは映画版と同じ台詞で展開していきますが、そこからはオリジナルな会話劇となります。

そしてラストでは伸子は死なず、浩二はにっこり笑って消えます。

そして伸子が休業していた助産婦の仕事を再開しようとする描写で終わります。

助産婦という次の世代を取り上げる仕事の活かしかたが、実に効果的です。

(いまは助産師と呼ぶのは知っていますが、ここでは作中の呼び方に倣います)


子どもが先に死んでしまい、それに呼ばれた親が死んでしまう、という原作映画版の閉じられた悲劇が反転され、息子の死を乗り越えて助産婦として生きることにした母親は、命のながれのなかに回帰します。

さらにいえば、ここで母が取り上げるようとするのは、全然血縁関係がない娘の子です(正確に書くと、息子の恋人で家族同然の女性でしたが、息子の死後に別の人と婚約した娘の子です)。つまりここでは、単純な親子関係を超えて、他の人たちとつながり直していく様さえもが示唆されているようです。


原作映画を乗り越えるこの終わり方は、実は映画より以上に、井上ひさしの『父と暮せば』へのアンサーになっているのではないかと考えています。

『父と暮せば』のラストで、死んだ父と生きている娘の間で交わされる最後の会話は、孫とひ孫のことです。そして娘が恋を成就させる予感とともに、作品は終わります。

『父と暮せば』のラストの父親の台詞から引用します。


「人間のかなしいかったこと、たのしいかったこと、それを伝えるんがおまいの仕事じゃろうが」


伝えていくこと、つながっていくことが強く意識されています。

広島長崎の経験を閉じないで、命の続く限りつないでいき、伝えていくこと。

それが、井上ひさしの『父と暮せば』の中央命題であり、畑澤聖悟の『母と暮せば』はそのことを強く意識し肯定しているがゆえに、作品の結末を大きく変えたのではないでしょうか。



もちろん井上ひさし『父と暮せば』では生き残ったのが若い世代の女性だからこそ、その命のつながりを描くことが比較的容易だったとも言えるかもしれません。

『母と暮せば』では若い世代のほうが命を生むことができない男性であることを差し引いたとしても、若いほうが先に死んでしまっています。命のつながりを元に戻す術がないわけです。

山田洋次の映画版では、母と息子の愛情のなかで、命の流れを閉じて完結させました。

あくまでも親子(むしろ疑似的な恋人同士)の物語として捉えるならば、そういう心中のかたちもひとつの方法ではあります。

でもおそらく、こういうかたちで命を完結させることは、広島や長崎で失われた命を、閉じた悲劇の中に未伝達のまま置き去ることをも意味してしまうのではないでしょうか。

戯曲版では、助産婦という母の仕事を見事に活かし、命の流れを再びつなぎ直しました。

加えて、「家族」という直線的な単位すら超えることも示唆しているのは、井上ひさしや山田洋次の世代との家族感や生命観の違いかもしれません。



戯曲版『母と暮せば』の伸子の最後のセリフは「しょっぱ」です。

このなんでもない日常語を読んで震える瞬間こそ、ドラマの醍醐味というべきものなのでしょう。

その最後のセリフに到るまで、映画版にはなかったふたりの会話の多くは、母の助産婦の話です。医学生だった浩二が助産婦の話をせがみ、母はいろんなエピソードを語ります。

その要所要所に、伝えることとつながることという、命の流れが意識されます。

母が助産婦になるきっかけとなったお婆ちゃんのこと。

「感じ、守り、安心させ、生ましめる」というおばあちゃんの教え。

防空壕の中で、家族中で、隣の家族も巻きこんでお産をしたときのこと。

「とにかく、妊婦を大切に。自分の娘だと思って」という伸子の台詞。

そういった会話が、なぜ母は助産婦を休業しているのか、という疑問への謎解きにもなっていきます。

「安心させ、生ましめる」ことが難しくなった長崎で生きることへの、母の激しい怒りと諦めが語られ、息子は会話の中で母親をなぐさめ、癒し、笑わせようとします。

「僕は、母さんがうらやましか」

「やろうと思えば、いつでもまた命をとりあげることのできるやなかね」

「僕のために、僕の代わりに生きてはくれんね」

という台詞を、たとえば小説版の以下のような文章と比べてみると、映画版と戯曲版では、浩二の人物造型というか、親孝行のありかたがずいぶん違うことがわかります。

「母さんは笑顔で頷き、僕に支えられて向こうの世界に歩き始める。これから時間も形も何もない、光だけの世界に行くんだ。母さん、これからはずっと一緒だよ」



放射線で具合が悪くなったときに効くという、いささか眉唾物の、気休めの、塩分・ミネラル治療法。

医学生だった息子が作った薬は、ただの塩水。

母親がそれを飲み、奥から助産婦の道具を取り出してくるところで幕になります。


井上ひさしは『父と暮せば』の「あとがき」のなかで、

「「娘のしあわせを願う父」は、美津江のこころの中のまぼろしなのです。……「見えない自分が他人の形となって見える」という幻術も、劇場の機知の代表的なものの一つです」

と書いています。

だとすると、水に塩を溶かしただけの薬は、実際には息子が作ったものではありません。

現実的には、息子のために息子の代わりに生きようと決心した伸子が、生きようと願いながら自分で作った水です。

強い怒りやあきらめや寂しさを超えての、微笑みながらの「しょっぱ」からは、生き生きと瑞々しい、美しい人の声が聞こえてくるようです。









なお以上に長々と書いてきたこととはまるで別件。書かなくてもいいどころか書かないほうがいいことですが……。

『父と暮せば』でも『母と暮せば』でも、映画では浅野忠信が恋人役を演じています。

ともに実直で生真面目な役なのですが、なんせ同一人物が似たようなキャラを演じているものだから、「おいおい、真面目に見えて実は広島と長崎を股にかけた結婚詐欺師なんじゃ……」などとついあらぬことを考えてしまいます。

『父と暮せば』という原典に忠実なのはわかりますが、そこまで同じにしなくてもよかったのでは……。



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