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  • 執筆者の写真みずき書林

良質な違和感――W-Letter@恵比寿エコー劇場

更新日:2019年9月24日


エコー劇場にて「W-Letter」を観てきました。

家から徒歩10分程度の場所ですが、行くのははじめてです。



歴史学のなかでも近現代史は剣呑なものですが、ここで扱われる〈特攻〉は、従軍慰安婦と並んで、もっとも複雑なポリティクスをはらんでいる問題です。

歴史学のなかで、このふたつがもっている複雑さが解決されることは、おそらくありません。

(解決、というか解消されるときが来るとすれば、それはこの国で同じことが新たに起こったときでしょう)



その複雑さを、演劇として――つまり皆が見られる物語として――表現するために、様々な工夫が凝らされている作品でした。

1.これ以上ないほどシリアスな状況に、タイムトラベラーを送りこむ

2.個々人に焦点化することで、複雑なポリティクスを脱臼させる

3.すべてを女性たちが演じる

共通するのは、〈良質な違和感〉ということではないでしょうか。



ひとつめは、物語の大枠になっているタイムスリップという設定です。

現代の若者がタイムスリップして特攻基地に入り込む。

こう書いただけで、ものすごい違和感です。マーティ・マクフライが68年のソンミにタイムスリップするようなものです。

彼は未来を知っているゆえに、死を覚悟していたはずの特攻隊員たちを揺さぶることになり、個々の隊員たちが抱えている感情を引き出していきます。

同時に彼は、次第に仲間として迎え入れられていきます。

そのなかで隊員たちは、いまと遠く離れた時代の特殊な精神状態の人たちとしてではなく、いまの我々と同じ気持ちの構造をもった人たちとして描かれています。

これは戦争最末期を舞台にした芝居ではありますが、現代劇といえるでしょう。

タイムトラベラーという異物が混入することで周囲の価値観が揺れる、というのはタイムトラベルSFの王道ですが、それをきわめてシリアスなシチュエーションでやってしまおうというのは、考えてみればかなり野心的な試みです。



ふたつめの工夫は、上記とも関わりますが、あくまで個々の人物たちの感情に焦点化している点です。

特攻がはらむ複雑さには、ポリティカルな複雑さと個人の生の複雑さとがあります。

この作品では後者に焦点を絞ることで、誰でも見られるように、そして自分のこととして考えられるように作られています。

そういう姿勢に対して、ポリティカル/アカデミックな批判をすることは容易かもしれません。しかし、役者たちや演出家が目指していることは、きっとそういうことではありません。

あくまで個人の生の複雑さに特化することで、〈なにかのために死ぬ/生きる〉ということを、感情移入可能な現代的な問いとして描いていくことを目指しているように見えました。

タイムスリップした主人公が、基本的に歴史に無関心な今どきの若者であることも、ある種の複雑さを脱臼させて回避することに一役買っています。彼は終戦が昭和何年かもはっきりとは知らず、この時代に――しかも軍人に向って――「日本が負ける」と軽々しく口にすることの危険性についても無頓着です。

小難しい本ばかり作ってきた僕にとっては、この個人に寄り添うことに徹する姿勢は、清々しい違和感を感じるものでした。こういう表現もあるのか、というべきか。より正確にいうと、こういう表現だからこそいいんだ、ということです。



最後に三つめは、オール女性キャストという点です。

すべて女性で特攻を描くというのは、無謀のようにもみえる試みです。宝塚に特攻を扱った作品があるか? おそらくないでしょう。

でも、これが非常に面白かった。ふつうのキャスティングでも同時公開されていて、そっちは観ていないので比較はできませんが、特攻隊員を女性が演じることで、一種の異化作用が働いています。

つまり、我々は特攻隊員はぜんいん男性だったことを知っていますし、日本軍人たちが丸刈りもしくは非常に短い頭髪であることも、イメージとして刷り込まれています。

しかしここでは、女性が長く美しい髪のままで特攻隊を演じています。彼女たちの束ねられた髪や額に落ちかかる前髪は、良質な違和感として最後まで残り続けます。

その違和感がピークに達するのが、全員で「同期の桜」を歌う場面でした。

女性たちが歌う「同期の桜」には、何か忘れがたいインパクトがありました。



いくつかの違和感をたくみにコントロールすることで、特攻というとてもハードルの高い問題を、物語として見せることに成功している作品だと感じました。


まあ、わざわざややこしい書き方をするのは僕の悪い癖です。

芝居を見ながら、2度涙がでました。




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