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  • 執筆者の写真みずき書林

『戦争社会学研究4巻 軍事研究と大学と私たち』見本出来

見本出来です。




今号で4巻目。

並べるとカラフルで、ちょっとずつ様になってきました。

(なお1巻だけはもともとは別の版元から出ていて、直販のみで小社で扱っています。

なぜそんなヤヤこしいことになっているのかというと、このジャーナルは、僕が前の職場で担当していた企画だったのです。で、独立してみずき書林を創業したときに、2巻以降の企画を引き継ぐことになりました。

その際、1巻の残部も「譲り受けた」わけです。

そういう事情なので、1巻はISBNが元の会社のものなので、書店流通できません。

お求めの方は直接小社までご連絡ください。

なお、2巻以降をみずき書林で引き継ぎたい、と編集委員の先生方にお願いに行ったときのことはよく覚えています。

東大の一室は妙な空気でした。僕はこのご時世に独立創業という、できるかどうかもわからない無謀な賭けに先生方の本を巻きこもうとしていました。先生方は、なんだか面白い話を聞いているのは間違いなさそうだが、しかし面白がってばかりいる場合ではないな、という雰囲気でした。

ある先生から「シャアがアクシズを落とそうとしたのも40前だった」という、激励だかなんだかわからない無茶苦茶なことばをかけられたのもこの時です(笑)。ちなみにシャアのアクシズ落としは失敗し、以降消息を絶っています。( )内が長くなりすぎました)



この「戦争社会学研究」というジャーナルがなかったら、いま進行しているいくつかの企画もありません。

たとえば『マーシャル、父の戦場』も、もともとは日記をこのジャーナルに掲載できるかもしれないと編者の大川さんが考えたことから発生した企画でした。

それ以外にも、いま進行中の4本ほどの企画が、この媒体がなければやれていなかったはずです。



戦争社会学とか歴史社会学とか、そういう学問の重要性がいっそう高まっているように思えます。

我々ひとりひとりが、政治的であるとはどういうことか、この社会にどう向き合うか、ということが問われています。

基本的に受け入れがたく不整合で不平等で、往々にして理不尽な政治権力というものに、その集積としての歴史に(多くの場合、歴史とは政治史であり、もしくは政治史の対抗としての個人史です)どう接近するか。

そういうものに接近しつつも心を蝕まれない方法を、学び知りたいと思っています。



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いま、みずき書林の通常の編集業務と同時進行で、自分の本の執筆をしています。 たったいま、その執筆がひととおり終わりました。 もちろんひとまず最後まで書き切っただけで、これから二巡目の推敲に入っていくことになります。大幅な書き換えが必要な部分も出てくるかもしれません。 「あとがき」などもこれから書かないといけません。 ゲラ校正などまで考えると、やっと素材の原形質が揃ったという段階に過ぎません。 とは

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