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  • 執筆者の写真みずき書林

鷗と月――社名は難しい。



会社の名前を決めるのは難しい。

2018年に創業するときに、社名を「みずき書林」としました。

その由来はけっこう喋ったり書いたりしてきました。


そのときに、他にはどんな候補があったんですか? というのはたまに訊かれる質問です。

ボツになった名前というのはなかなか公開するのが恥ずかしいんだけど、せっかくなので、ボツ社名を書いておきましょう。


1.かもめ書店

僕の名前は林太郎と言います。

いうまでもなく、森鷗外の本名です。

(父が医師であり、同時に文学好きでもあったのです)

なので、社名を考えるときに「鷗」の文字が浮かんだのは必然といってもよかった。

でも、あまりに文学に寄りすぎるということで見合わせました。

僕も文学は好きですが、新しい版元では歴史を中心にしてみたかった。なので、鷗外から社名をいただくのは恐れ多くもあり、またジャンルを不必要に自己規定してしまうような気がしたのです。


後年、すごく似た名前の柳下恭平さん率いる「かもめブックス」を知るに及んで、やっぱり「鷗」は辞めておいてよかったと胸をなでおろしたのでした。


2.月

こちらは、かなり本気で当選確実まで近寄った名前でした。

シンプルに「月」だけ。「株式会社 月」。

もちろん「つき」と読みます。

当時のメモには、


月はたんなる岩の塊に過ぎない。でも太陽の光を反射して光る。

月は何の資源もない不毛の土地に過ぎない。でも豊かな多様性を持つ地球のまわりをめぐる。

月は遠くにある。でも行こうと思って手を伸ばせば届くかもしれない。


と書いてあります。

そのような月の特性が、編集者に近いと思ったんですね。

少なくとも、太陽を著者、地球を読者などと見立てるなら、僕の憧れる編集者像には月がぴったりに思えたのでした。



ほとんどこれにしようかと思っていたのですが、なぜ辞めたのか。

「月」という屋号だけでは何屋さんかわからない、という即物的な理由もありました(でもキレが悪くなるので、たとえば「月出版」などと添加物を加える気はありませんでした)。

奥ゆかしいふりをして、実は自己イメージとしての出版者/編集者像を前面に主張しているのがいささか厭味ったらしい、という感じもしていました。


でもなにより、「みずき」という名前を思い出したのが大きかったですね。

ありえたかもしれないもう一人の自分の名前を思いついたときには「これしかないな」と腑に落ちました。


いまあらためて「みずき書林」ということばを手元で転がしてみても、格好つけすぎず、適度に主張もあって、飽きの来ない名前だと思っています。

自分としてはすっきりした納得感があります。



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